比婆山久米神社(下の宮)(式内 久米神社)
Contents
概 要
社号 熊野神社 比婆山久米神社(下の宮)
式内社 出雲国意宇郡 久米神社(延喜式神名帳)
出雲風土記には久米神社・熊野神社とも記されている。江戸時代は「熊野神社」と称していた。
鳥居扁額には「比婆山大宮」と記されている。
読み: くめ・くまの
所在地 島根県安来市伯太町横屋486
久米神社奥の宮 安来市伯太町横屋字比婆山611-1
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
伊邪那美之尊(いざなみのみこと)
例祭日 5月9日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
意宇郡(オウ):48座(大1・小47)
近代社格制度
創建
本殿様式 神明造
鳥居 両部鳥居(主柱を4本の稚児柱で支える)
境内摂末社(祭神)
稲荷神社・荒神社・伊邪那岐神社・嚴島神社・嶽神社
一口メモ
鳥取市から午後の講義を早退し、どうしても出雲の式内社へ行きたくなり午後一時から出発。冬場は5時には日没なので1時間も滞在できないのだが。山陰道安来I.Cを降りて西へ進む。左折して県道9号線に入17km南。奥の宮へはハイキングコースになっているが、今回は時間が限られており残念だが行かなかった。
歴史・由緒等
古事記において「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」と記される。その比婆山は、広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山(最高峰は立烏帽子山1299m)とする説と、ここ島根県安来市にある標高331mの比婆山とする説がある。両者の距離は直線距離で57kmしかない。
大山、白山など高い山に神が宿る場所(神奈備山)として崇めたことから、個人的には広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山がヤマタノオロチのモデルとされる斐伊川の源流に近く、奥出雲のたたら製鉄など、古社地としては有力な気がするが、本居宣長の『古事記伝』の「伯耆の国人の物語に出雲の国の内、伯耆の堺に近き処の山間にたわの内と云うあり、そこに伊邪那美命の陵なりとて塚あり。・・・・」と載せられている記述からは出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山のほうが妥当性が高い考えられている。
【由緒】天平5年(733)2月30日「久米社」『出雲国風土記』
天文3年(1534)火災焼失
永禄年間(1558-70)兵火全山灰燼
寛文13年(1673)比婆山山麓に社殿を遷
正徳3年(1713)元の比婆山山頂へ奥宮を再建
明治4年熊野神社と称下宮(里宮)
昭和13年火災全焼
昭和19年再建
「延喜式神社の調査」さん
出雲なら当然、出雲大社・熊野大社などで一般的な大社造り(切妻妻入り)であるのがふつうだが、奥宮は流造曽木葺なのに、下の宮はどういう訳か、伊勢神宮などの神明造り(切妻平入り)で建てられている。久米神社は熊野大社ともいわれるので大社造りだった可能性が高いが、昭和19年再建とあるので、当時は昭和20年の終戦前で東京大空襲など戦火が激しかった年である。日本全体が国家神道を元に結束していたのであるから、政治的に天照大御神の伊勢神宮にならい、神明造り建築を許可したのではなかろうか。あくまでも想像であるが。奥宮は江戸時代であるから本殿の庇を拝殿まで延ばす流造りが一般的になっていたのだろう。
比婆山は「古事記」に記された国生みの神、伊邪那美命(イザナミノミコト)の御陵だと伝えられています。
標高320mの山頂付近には、これを祭神とする久米神社奥の宮があり、麓には久米神社下の宮があります。古くより各地の豪族の崇拝が厚く、その後尼子氏や母里藩の祈願所として栄えました。
現在も、安産の神様として多くの参拝者が訪れています。-『安来市観光ガイド』より-
境内・社叢
鳥居 社号標
社頭掲示板
狛犬
神門 拝殿:薄暗くなり露出不足でブレ
本殿
地名・地誌
横屋
村南部の山間部ではたたら製鉄も行われていた。江戸時代には安来市伯太町支所のある母里地区に松江藩の支藩である母里藩があり陣屋が置かれていた。
1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行に伴い、能義郡安田村、母里村、井尻村、赤屋村が成立。
横屋地区は旧井尻村。
1952年(昭和27年)11月3日 – 安田村、母里村、井尻村が合併し、伯太村が発足。
1954年(昭和29年)4月1日 – 赤屋村を編入。
1956年(昭和31年)1月1日 – 伯太村が町制施行して伯太町となる。
能義郡伯太町は、2004年10月1日、安来市・能義郡広瀬町と新設合併し、新・安来市となり現在に至っている。能義郡すべての町がなくなり能義郡は廃止となった。
地 図
交通アクセス・周辺情報
安来ICより車で15分
安来駅より車で20分
麓から山頂まで徒歩20分
イエローバスをご利用の方
安来駅(バス)→横屋バス停→横屋参道(徒歩)→比婆山
または
安来駅(バス)→久才バス停→峠之内参道(徒歩)→比婆山
比婆山
いざなみの命(妻神)が葬られたとする山の比婆山は出雲地方に自称 他称を含めて10数カ所あります。古事記において「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」と記される。広島県庄原市から島根県仁多郡奥出雲町境にある比婆山(1264m)は国定公園として有名で、現在、イザナミの神陵地は本居宣長の『古事記伝』の記述からは出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山のほうが妥当性が高い考えられている。奥宮にはイザナミ御陵墓とされる古墳がある。もちろん古墳と古事記のイザナミとは時代が合わないが・・・。
標高320mの山頂付近には、これを祭神とする久米神社奥の宮があり、麓には久米神社下の宮があります。古くより各地の豪族の崇拝が厚く、その後尼子氏や母里藩の祈願所として栄えました。
現在も、安産の神様として多くの参拝者が訪れています。
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