阿太加夜神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社号 阿太加夜神社
『出雲国風土記』「阿太加夜社」
足高明神
読み: あだかや
所在地 島根県松江市東出雲町出雲郷587
旧地名 出雲国意宇郡
御祭神
阿陀加夜奴志多岐喜比賣命(あだかやぬしたきぎほいめのみこと)
配祀  国之底立命 須佐之男命 淑母陀流命 阿志古泥命
例祭日
神幸式「ホーランエンヤ」日本三大船神事
12年に1度開催される城山稲荷神社式年神幸祭(式年祭)の祭事。慶安元年(1648年)出雲国で大規模な凶作となったことを受けて、当時の松江藩主の松平直政が城山稲荷神社の御神体を船に載せて阿太加夜神社まで運び、五穀豊穣を祈願する祭礼を行ったのが起源とされる。当初は10年周期で行われ、途中で12年周期(ただし、数えで12年の為、正しくは11年毎)に変わったが、周期通りに執り行われないことも多く、正確な回数は不明である。
2007年から2011年にかけ松江市では「松江開府400年祭」が開催されているが、2009年に行われるホーランエンヤはそのメインイベントの一つとなっている。

社格等

近代社格制度
社格制度廃止後 島根県神社庁特別指定

創建     不詳
本殿様式   大社造
御神紋 二十亀甲に「有」*1

*1 出雲大社
むかしから10月を神無月というが、出雲では全国の神々が来られるから、この月を神有(在)月とよんでいる。
この言葉は室町時代の辞書『下学集』に見えているので、かなり古くからこういう信仰が人々の間にはあったと思われ、また十月という文字を組みあわせると「有」という字になるというので、大社の古い手箱の散らし紋にも、亀甲紋の中に「有」の字が描かれている。

境内摂末社(祭神)

稲荷神社 (宇迦之魂命)
雨風神社 (奥津彦命 奥津姫命 級長津彦命 級長津姫命)
級長津彦命 (級長津姫命)
兵庫神社 (松岡兵庫頭)

一口メモ

国道9号線を松江方面へ走り、松江市東出雲町。昨年、式内揖屋神社に参拝したが、東出雲町には式内築陽神社と平澤八幡宮・武内神社、そして式内社ではないが、この阿太加夜神社は参拝したかった神社である。出雲郷交差点を200mほどで左に大鳥居が目に入る。
出雲郷といえばもうひとつある。現在の出雲市斐川町出西、神氷、求院、富村辺りなのだが、なぜ出雲郷と書いて「あだかえ」なのか、まったく当て字であるが、「あだかえ」は阿太加夜神社の阿太加夜が元々に漢字だろう。地図を見ると意宇川をはさみ、対岸は昨年訪ねた出雲国庁跡、六所神社、国分寺のすぐそばだ。

歴史・由緒等

創建年代は不詳であるが、天平5年(733年)の風土記に記載され、貞観元年(859年)7月11日には、正五位下を授けられている。その後、社殿諸建造物は元禄8年(1695年)3月23日、出雲太守松平出羽守源朝臣綱近により造営され,代々の藩主による修造の棟札が現存している。また、社頭三十石を寄付された社であるが、中古火災によって由緒の詳なることを知ることは出来ない。通称、芦高大明神と呼ばれ近郷の信仰を集めている。

 出雲郷(あだかえ)地内の意宇(いう)川のほとり、芦高(あしたか)の地に老樹うっそうとした神域を存する阿太加夜(あだかや)神社は、出雲国風土記に記され、古くは国造家一族にゆかりのある社としてまつられ、中世以降も代々出雲国守の崇敬を受けた神社でした。 神官を継承してきた松岡氏は、慶長年間、松江城築城の際その祈祷力を発揮し、松江城山稲荷神社の神官も兼任、同稲荷神社との間におこなわれた神幸式「ホ−ランエンヤ」は、日本三大船神事として有名です。

-『松江市観光協会公式サイト』より-

境内・社叢

  
鳥居                       手水舎


社頭掲示板


社頭掲示板


随神門

   
狛犬

  
境内                       拝殿

  
拝殿内                      本殿


本殿右境内社

地名・地誌

東出雲町出雲郷(あだかえ)

松江市観光協会によると、古地図には出雲江と標記とある。出雲江で「あだかえ」ならまだ分かるが。『出雲国風土記』には「阿太加夜社」とあるので阿太加夜が出雲江に字が変わり、出雲郷になったようである。もちろん仮名がない時代の万葉仮名であるから、とりあえずこの地が古来より「あだかえ」、「や」と呼ばれていたことは間違いなさそうだ。

「あだか」は余部のことではないだろうか。

律令期の『出雲国風土記』には意宇郡で意宇川以西は大草郷、飯梨川流域は飯梨郷で、東出雲町は郷名が見当たらない。余部里となっている。国郡里制で郷の下に2、3の里に分ける。意宇川流域からいって大草郷余部里だろうか。
余部(あまるべ)とは50戸に満たない場合であるが、その後の戸数の増加によって50戸を満たした場合には里(郷)に昇格する。余部里はそのまま地名を里とした例で各地に「余戸里(郷)」と呼ばれる里(郷)が成立した。
1954年4月、八束郡揖屋町、意東村、出雲郷村が合併して誕生。
2011年、松江市に編入合併され消滅、住所表記は「島根県松江市東出雲町〇〇」)となった。

地 図

島根県松江市東出雲町出雲郷587

交通アクセス・周辺情報

参 考

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