式内 韓竈神社
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概 要
社号 式内社 出雲国出雲郡 韓竈神社
読み:古 カラカマ、現在 からかま
江戸時代には、『智那尾権現(ちおごんげん)』と呼ばれていた
所在地 島根県出雲市唐川町後野408
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
素盞嗚尊(すさのお のみこと) 国狹槌神(くにのさつちのかみ)
例祭日 11月2日・3日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)
『出雲国風土記』「韓竈社」
近代社格制度 旧村社
創建 年代不詳
本殿様式 流破風造 銅板葺
境内摂末社(祭神) なし
一口メモ
川下町から少し西へ進むと唐川という川が日本海に注ぐ。「韓竈神社ここから左へ」という大きな案内看板が目に入る。島根半島西の日御碕神社をめざす計画で、次にどうしても訪ねてみたかった山奥の神秘的な神社だ。島根半島で東の三坂山(536m)とともに西では最も標高のある鼻高山(536m)の北になる。
しかし唐川町といっても谷が深くさらに唐川と別所町とに谷が分かれており、韓竈神社右へという小さな案内表示を進むがなかなかつかない。携帯の通話ができない区域でスマホのGPSも使えない。鳥居がようやく見えたらほっとしたが、ここからの参道が本番だ。
いろいろ神社めぐりをしていたので、参道の石段や山道にはしんどい思いをしているが、脇にロープが貼ってあり、ロープがないと怖いようなきつい石段が続く。石段がない箇所もある。頂上はさほど高くないのになかなか神社が見えない。狭い岩の細い割れ目があってどうもここをくぐり抜けて神社へ行くしかないようだ。幅が45cm位で痩せ型の私ですら横向きにやっとの幅で抜けると祠が見えたとき、達成感が湧いた。恰幅の良い人なら通り抜けられないかも知れない。神社は崖に張り付いた祠と少しは平坦になっている。高所恐怖症の人は危険である。
むかしの人は道もない山中のこういう磐座をよく見つけたものだと思うが、ある意味登山の醍醐味がある希少な神社だ。午後5:20分。この時期の日没は6時過ぎで近づいてきた。また山深く日中でも日が差し込まない場所のため、なおさら撮影がブレてしまう。
歴史・由緒等
社頭掲示板
由 緒
出雲国風土記(七三三年)には韓銍社、延喜式神名帳(九二七年)には韓竈神社と記されており、創立は不詳であるが、非常に古い由緒を持つ神社である。
社名のカラカマは朝鮮から渡来した「釜」を意 味するとされている。即ち これは祭神の素蓋嗚命が御子神と共に新羅に渡られ、我が国に「植林法」を伝えられると共に「鉄器文化」を開拓されたと伝えられていることと、関係があろう。又当社より奥部の北山山系が古くから産銅地帯といわれ、金掘り地区の地名や自然銅、野タタラ跡、などが見られることと、鉄器文化の開拓と深い関係があるといわれている。「雲陽誌」(一七一七年)によると、当社は素蓋嗚命を祀るとして、古老伝に「素蓋嗚命が乗り給いし船なりとて、二間四方ほどの平石あり、これを「岩船」という。この岩は本社の上へ西方より屋根の如くさしかざしたる故に、雨露も当たらず世俗 に「屋方石」という。又 岩船のつづきに周二丈余 り 高さ六間ほどの丸き立岩あり。これを「帆柱石」という。社への入口は横一尺五寸ばかり、高さ八尺ほどの岩穴となっており奥の方まで二間ばかりあり これが社までの通路となっている」と記されている。
例大祭 十一月三日 「社頭掲示板」
境内・社叢
(薄暗く露出が足りないので苦労して固定させながら写したがピンボケ気味)
鳥居 石段
鳥居脇に手水鉢
自然石の険しい石段が続く
磐の割れ目をくぐる (反対側から)
本殿
鳥居の前の小川の少し上に車を停められるスペースがあり、岩船がある。
「岩船」伝説
韓竈神社は、「岩船」伝説でも知られており、この大岩は、新羅から植林法や鉄器文化を伝えられるときに、素盞嗚命が乗られた船であるといわれています。
また、鰐淵寺を開かれた智春上人(ちしゅんしょうにん)が信濃の国から来られたとき、三人の老翁が船で出迎え、鰐淵寺へと案内されました。その後、老翁は別所・唐川・旅伏の三所に飛び去り、唐川の智那尾権現は岩船となり、別所の白瀧権現は帆柱石となり、旅伏山の旅伏権現は帆形の石となったと伝えられています。
(現在も唐川と旅伏山には大岩が現存していますが、別所の帆柱岩だけは、昭和時代に地滑りのため無くなってしまいました。)
「出雲観光協会」
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