県社 手向山八幡宮
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概 要
社 号 手向山八幡宮
読み:たむけやまはちまんぐう
別称:手向山神社
所在地 奈良市雑司町434
旧地名 大和国添上郡
御祭神
応神天皇 姫大神 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇
社格等
式外社
近代社格制度 旧県社
創建 天平勝宝元年(749年)
本殿様式 八幡造
例祭日
御田植祭 2月3日(毎年2月節分の日)
転害会(てがいえ) 10月5日10:00~
境内摂末社(祭神)
住吉社 若宮社
文化財
■国宝
唐鞍 一具
内訳:黒漆螺鈿鞍 1背、鞍褥(くらしき) 1枚、障泥(あおり) 1双、雲珠(うず) 2箇、轡(くつわ) 1口、手綱 1懸、面繋(おもがい) 1懸、胸繋(むながい) 1懸、銀面 1面、頚総(くびふさ) 1懸、八子(はね) 10条、鐙(あぶみ) 1双、力革 1双、尻繋(しりがい) 1懸、腹帯 1懸、尾嚢(おぶくろ) 1口、差縄 2条
■重要文化財
境内社住吉社本殿 鎌倉時代
宝庫 奈良時代、校倉造。もとは東大寺油倉の上司倉。すぐ北には規模・形式とも類似した「東大寺法華堂経庫」が建つ。
木造舞楽面21面
木造菩薩面1面(附菩薩面1面)
木造獅子頭2面(附木造鼻高面3面)
木造狛犬1躯(附木造獅子1躯、木造獅子狛犬2対)
赤銅造太刀 銘備前国長船住長光
黒漆四枚居木鞍
唐鞍
唐鞍
移鞍
素木鞍
黒漆海松円文(みるえんもん)鞍
壺鐙
錦貼神輿
桐竹鳳凰蒔絵瓶子 – 舞楽で使用する小道具。
鉦鼓
彩絵鼓胴 康平4年(1061年)銘
なお、東大寺勧進所八幡殿にある木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、もと手向山八幡宮にあり、明治の神仏分離の際に東大寺に移されたものである。
一口メモ
八幡宮に代表される八幡信仰(八幡神社・若宮神社・八幡大神社など)は全国に約44,000社あり、なんと全体の約一割を占めている。式内社めぐりを主としているので、八幡宮や天満宮はとくに有名な神社以外は参拝しないが、奈良市の手向山八幡宮は例外のひとつ。東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された神社で、八幡宮からの分社では第一号で最も古いのだ。
歴史・由緒等
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ祀られた。東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)がある。
天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された。八幡宮からの分社では第一号である。当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建した。当初の鎮座地とされる梨原宮の所在地は未詳だが、奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊庭園跡庭園がその跡ともいわれる。
創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。
-『神社公式サイト』より-
境内・社叢
東鳥居 楼門
手水舎
社頭掲示板
拝殿
本殿
境内社 住吉社(国重要文化財)
宝庫 東大寺より移築(国重要文化財)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
JR奈良駅から奈良交通の市内循環バスに乗車、「大仏殿春日大社前」下車。徒歩15分。
近鉄奈良駅から徒歩30分。
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