龍田神社(式内 竜田比古竜田比女神社)
Contents
概 要
社号 龍田神社
元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」、龍田大明神
式内社 式内社 大和国平群郡 龍田比古龍田比女神社二座
読み:古 タツタヒコ タツタヒメ、現 たつたじんじゃ
所在地 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6
旧地名 大和国平群郡
御祭神
天御柱命(あめのみはしら のみこと) 国御柱命(くにのみはしら のみこと)
竜田比古神(たつたひこ のかみ) 竜田比女神(たつたひめ のかみ)
祭礼 秋季大祭 10月15日に近い日曜日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
平群郡[ヘグリ]:20座 大12座 小8座
近代社格制度 旧県社
創建 崇神天皇の御代
本殿様式 流造
境内摂末社(祭神)
地主神社・川合神社・恵比須・廣田・祇園・堪山姫
・粟島・稻荷・春日
一口メモ
法隆寺から国道25号線を西へ1km。法隆寺鎮守4社の1つ。
三郷町の龍田大社と同名社なので、龍田神社はその論社なのかと思っていたが、延喜式神名帳にある平群郡の式内社で、竜田坐天御柱国御柱神社 二座が現在の龍田大社、竜田比古竜田比女神社 二座がこの龍田神社。なお、龍田大社も竜田比古竜田比女神社 二座の論社となっている。
現在はお寺より式内神社を優先するが、奈良のそうそうたる法隆寺などは別格である。四天王寺は先月、放送大学の面接授業「聖徳太子と四天王寺」で拝観させていただいたのだから、法隆寺はゆっくり拝観したいと思っている。
歴史・由緒等
聖徳太子が16歳の時(589)、飛鳥から来られて、法隆寺建立の地を平群川(竜田川)に沿って探しておられました。この折りに白髪の老人が現れて「ここから東に斑鳩が群棲している郷がある。
優れた土地である。そこに伽藍を建てなされ。」と告げ、そこは仏法が末永く興隆する地として伽藍建立に適したところであるという。太子が白髪の老人にどういう方かとお尋ねすると、「私は龍田山の裾に住み、秋の紅葉を楽しんでいる間に千余年を過ごしてしまった。」といったので、太子は「あなたはこの地の守護神なのですね。私の建立する寺をお守り下さい。」とお願いすると、「吾、守護神たらん。」といわれた。この老人こそが、龍田明神の化身であったという。
しかし、三郷立野の龍田大社(本宮)は遠いので、斑鳩に龍田神社を祭り、法隆寺の鎮守とした
のだと伝えられています。
この境内の蘇鉄の巨樹は昭和32年(1957年)に、県の記念物の指定をうけました。
-「斑鳩町観光協会」-
崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・国御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・国御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。
ウィキペディア
元々の御祭神は竜田比古大神・竜田比女大神。後世に龍田大社の2神を勧請したために本来の竜田比古大神・竜田比女大神は忘れられた。社地の北方に御廟山という小丘があつて、これが龍田の神奈備であり、ここから南麓の現在地に宮造りして遷したもの。
蘇鉄
奈良県の天然記念物「蘇鉄の巨樹」が植わっています。平安時代の初期に植えられ、樹齢1200年、根周り5.7m、 最大樹幹2.7m、高さ6.3mも有ります。株の基部及び樹の幹から8本の分枝幹が出て、雄花は長さ50 cm、直径が10cmの円柱状、くさび形の鱗片が螺旋状に付き、その下に多くの葯(やく)を付けます。
境内・社叢
鳥居 手水鉢
狛犬
拝殿 拝殿唐破風・扁額
本殿
奈良県の天然記念物「蘇鉄の巨樹」と境内社
境内社(境内左)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
・JR大和路線王寺・近鉄線王寺から奈良交通バス「龍田神社前」下車すぐ
国宝 法隆寺
参 考
「斑鳩町観光協会」、「延喜式神社の調査」さん
0件のコメント