式内 神川神社
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概 要
社 号 式内 神川神社
読み:かみかわ
古くから「神川坐住吉神社」と呼ばれていた
延喜式神名帳 式内社 山城国乙訓郡 神川神社
読み:カムカハ
所在地 京都市伏見区羽束師鴨川町368
旧地名 山城国乙訓郡
御祭神 底筒男命 中筒男命 上筒男命(以上住吉三神)・上津少童命(うわつわだつみのみこと・表津少彦命…海神)
例祭日
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
乙訓郡(オトクニ) 19座(大5座・小14座)
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式 神明造桧皮葺
境内摂末社(祭神)
大神宮社(天照大神)・稲荷神社
一口メモ
府道123号線も狭い道路の神川小学校敷地の東に隣接して、樹木・竹薮に囲まれた境内が北に細長く伸びる。鴨川と桂川との合流点の西岸にあたる。道路を挟んで西に式内久我神社があり、東に式内神川神社がある。
歴史・由緒等
江戸時代の文政年間(1818~1829)の当社神主・古川為猛(羽束師神社の神官としても知られます)が記した「住吉社之略記」によると、羽束師東部周辺は、鴨川と桂川の合流地点の西岸でもあるため、度々川が氾濫して湿地帯化し、また難破船があったことから、水運交通の守護神として摂津の住吉社の御神霊を勧請したものと伝えられています。また、延暦三年(784)の長岡京の造営の際は、勅令によって大祓の神事を行ったとも伝えられます。以来、神川周辺地域の産土神として崇敬され、明治六年(1873)に村社に列し、明治十年(1877)に神川神社と改称しました。
その後、昭和五十七年(1982)六月十一日に不測の火災により本殿が焼失し、神殿造営について幾度も協議の末、浄財寄進を募って昭和五十八年(1983)十月中旬にコンクリート造の本殿が竣工、同月二十四日に遷座祭を厳修し復興しました。
境内・社叢
鳥居 社号標
鳥居扁額 手水舎
割拝殿
狛犬
本殿
左境内社
地名・地誌
地 図
交通アクセス
周辺情報
参 考
「延喜式神社の調査」さん、「戸原のトップページ」さん、他
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