式内 宇賀神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

現社号 宇賀神社

延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 宇加神社
読み:古 ウカ、現在 うか
江戸時代は「宇賀大明神」と称していた
所在地 島根県出雲市口宇賀町521
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神 大己貴命(おおなむち のみこと) 綾門姫命(あやとひめ のみこと)
例祭日 10月19日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡[イツモ]:58座 大1 小57

『出雲国風土記』「宇加社」

近代社格制度

創建
本殿様式    大社造 瓦葺

境内摂末社(祭神)

子安神社・荒神社・招魂社・御崎社

一口メモ

平田市街から県道250号線で北東へ3.7 km、11 分。

歴史・由緒等

宇賀神社の由緒

今を去る1,200年前、天平5年聖武天皇の御代、733年に作られたものに「出雲風土記」があります。これによると、8世紀はじめの出雲の状況を詳しく知ることができます。また出雲風土記から200年ばかりのちになってできた全国の神社を一覧したものに「延喜式」の神名帳があります。これに載せられている神社は、いわゆる「式内社」と申しまして由緒正しい古い神社であります。

わが宇賀神社は、この両方のいずれにも記載されておりまして、遠く長い昔から、私達の先祖代々の人達によって祭られて参りました。 出雲風土記によりますと、大己貴命が神むすびの命の御子である綾門姫命に求婚されました。ところが綾門姫命は承諾なさらないで、身を隠された。(求婚された女性が身を隠し、それを求婚者の男性がさがし出すのは当時の習慣であって、そのことは播磨風土記にもでております。)そこで大己貴命は、綾門姫命がどこへ身を隠されたのかと、出雲大社をでて、弥山、鰐淵山を経て宇峠のあたりを尋ね伺われた。それで宇賀という地名になったというのです。現在西北方を奥宇賀、東南方を口宇賀と称しております。

『全国神社祭祀祭礼総合調査』 神社本庁 平成7年-

「延喜式神社の調査」さん、より-

境内・社叢

  
鳥居                  巨石の社号標


手水鉢

  
構え獅子型狛犬

  
拝殿                  本殿

  
本殿右手摂社         社日塔・境内社

  
境内社

地名・地誌

地 図

島根県出雲市口宇賀町521

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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