可美真手命神社(式内 物部神社)
Contents
概 要
社 号 可美真手命神社
読み:うましまみことじんじゃ
江戸時代は「物部明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国明石郡 物部神社
読み:
所在地 神戸市西区押部谷町細田132
旧地名 播磨国明石郡
御祭神 可美眞手命 (うましまで のみこと)
例祭日 3月9日
祭礼としては、2月17日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
明石郡(アカシ) 9座(大3座・小6座)
近代社格制度
社格制度廃止後
創建 成務天皇19年3月9日
本殿様式
境内摂末社(祭神) なし
一口メモ
場所がわからなくて付近でたずねた。県道83号線沿いに参道がある。西側の細道からも行けるのでそちらからの方が近いようだ。
歴史・由緒等
祭記事
祭礼としては、2月17日に、住吉神社の祈年祭に併せ可美真手命神社祭を斎行し、参列した押部谷町各地区総代と平野町常本地区の役員十数名が、山上に登り参拝のみ行なっている。由 緒
当社は、押郡谷町細田に鎮座する住吉神社の東、標高40メートルの小高い山上に鎮座しており、成務天皇19年(149)3月9日の創建と伝えられ、『延書式』にいう物部神社である。社地は山林1町8反9畝18歩を有し、この山を「宮山」または「元住吉山」と称し、天平勝宝6年(754)9月13日、摂津国住吉大社の社家であった津守連が、楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請した最初の鎮座地で、現在は小さな御社のみが建っている。
この元住吉山は、昭和3年(1928)に、直良信夫氏の調査によって、段丘裾部から縄文土器が発見され、「元住吉山遺跡」と名付けられ、西日本における縄文時代後期後半の標本遺跡となっている。
昭和50年(1975)の道路建設に伴う調査では、頂上平坦部より、弥生時代中期から後半にかけての土墳墓と考えられる遺構が発見され、更に、昭和58年(1983)の調査でも、縄文時代後期後半の土器が出土している。
-「兵庫県神社庁」-
ウマシマジ命(-のみこと)は、物部氏の祖とされる人物。『日本書紀』では「可美真手命(うましまでのみこと)」と『古事記』では「宇摩志麻遅命」、『先代旧事本紀』では「味間見命(うましまみのみこと)」と表記する。饒速日命が長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)[1]を娶って生んだ子で、天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であるとする伝えがある(『旧事本紀』)。
境内・社叢
鳥居 社殿
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
公共 市営地下鉄「西神中央駅」よりバス8系統押部谷又は緑が丘行で「住吉前バス停」下車徒歩2分
車 県道83号線高和橋交差点北へ約500m南側
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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