式内 穴目杵神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社号 式内社 但馬国城崎郡 穴目杵神社
読み: 古 アナメキ 現 あなめき
江戸時代は「八熊大明神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市大篠岡377-1
旧地名 但馬国城崎郡新田郷
御祭神 船帆足尼命(フナホソコネ) あるいは穴目杵命(アナメキ)
『国司文書 但馬神社系譜伝』黄沼前県主 穴目杵命
例祭日 10月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
城崎郡(キノサキ):21座(大1座・小20座)

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳だが『国司文書 但馬故事記』に人皇四十代天武天皇の三年。
本殿様式   流造柿葺

境内摂社(祭神)

稻荷社・淡島社

一口メモ

豊岡市大篠岡地区のある円山川支流の六方川流域は、かつて城崎郡新田郷で、六方川沿いに県道536号線を中島神社の神美地区三宅へ抜ける坂のかかり口の南手にある。社地は三開山城のあった三開山北麓。かつては城崎郡の南限で坂を越えれば出石郡、西は気多郡賀陽郷(豊岡市中筋地区)だったところ。三開山城は南北朝の合戦の舞台になったのもうなずける、但馬富士とも呼ばれている三方に見渡せる美しい円錐形の山だ。

参道を上がると突き当たりに祠がある。左に曲がると正面に拝殿と境内社の稲荷社が見える。拝殿は三間社造りと呼ばれる但馬では珍しい屋根が横向きに流れる三間社造り。社殿左手にはかつては神官の住居兼社務所らしき空き屋が残っていて、裏口にはまだ薪らしいものが置いたままだった。

歴史・由緒等

御祭神の船帆足尼命は、日本神話に出てくる神ではないが、「養父郡誌」では養父神社五神の一神で、国民生活の安定の方途に秀でた神である。古来は穴目杵命は神社名であるから、この地の豪族を国津神としたのであろうか。

『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇十代崇神天皇の九年秋七月、小江宿祢の子・穴目杵命は黄沼前県主となる。味饒田命(ウマシニギタノミコト)の七世孫なり。穴目杵命は新たに墾田を開く。(今の豊岡市新田)

人皇四十代天武天皇の三年夏六月、城崎郡司・物部韓国連久々比これを祀る。

「崇神天皇9年7月穴目杵命黄沼前縣主となり垂仁天皇45年6月穴目杵命の子來日足尼命縣主となり穴目杵命を篠丘に葬り天武天皇3年6月城崎郡司物部韓国連久比、同命を祀る是れ帥ち當社にして延喜式の制小社に列し江戸時代八熊大明神と称し文政11年本殿覆を再建す明治2年穴目杵神社と改称し同6年10月村社に列せらる」

『兵庫県神社誌』

穴見杵命については、次のように考察してみた。

豊岡市神美地区(旧出石郡神美村)は、古くは出石郡安美(アミ)郷と呼ばれていた。「太田文」曰く、今は、穴見と云う。安と穴と字似て美と見と音通じるゆえ誤れり。

杵(きね)とは、臼と共に使い、おもに穀物の脱穀や籾すりなどに用いる道具。穴見郷の豪族が神とされ、豊作を祈る神ではなかろうか。

境内・社叢

  
鳥居                    境内

  
拝殿                    本殿覆屋

  
境内手前石段境内社            稲荷社 淡島社

地名・地誌

地 図

兵庫県豊岡市大篠岡377-1

交通アクセス・周辺情報

参 考

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