式内 売布神社(京丹後市久美浜町)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内 売布神社

式内社 丹後国熊野郡 賣布神社
読み: 古 ヒメフ、現 ひめふ
江戸時代は「姫布大明神」と称していた
所在地 京都府京丹後市久美浜町女布初岡724
旧地名 丹後国熊野郡
御祭神
トヨウケ(豊受姫命) 大屋媛命(オオヤツヒメ) 抓津媛命(ツマツヒメ)例祭日 4月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座 大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
熊野郡:11座 並小

近代社格制度 旧村社
創建     伝:垂仁天皇の御代川上麻須の勧請
本殿様式   流造銅板葺

境内摂社(祭神)

秋葉神社・三玉神社

文化財

売布神社本殿 寛文9(1669)年建造 京都府指定文化財

一口メモ

国道312号線野中(交差点) を左折して 府道668号線 に入り1.6 kmで女布。府道に式内 売布神社の社号標が立っているところを、右折し290 m。
同名の売布神社は、京丹後市網野町木津女布谷、私の住む兵庫県豊岡市日高町国分寺にも式内売布神社:祭神 大売布命があり、祢布(ニョウ)に隣接しているからである。こちらも久美浜町女布と書いて「ニョウ」と発音するので、何か関係ありそうな気がして、早くに訪れた神社。売布神社 京丹後市網野町木津女布谷と重複するのでそちらを参照。
『丹後旧事記』に女布神社 祭神 女布大明神 豊宇気比売命とあるので、
同名社ではあるが、祭神に大売布命は出てこないので、関係はなさそうだ。{大屋媛命|おおやつひめのみこと} {抓津媛命|つまつひめのみこと}はのちに加えられたのであろうが、豊宇気比売命は五穀豊穣の神。村と子孫繁栄を祈ってのことだろう。

参考までに、オオヤツヒメ・ツマツヒメは、日本神話に登場する樹木の女神。『日本書紀』の一書では父神・素盞嗚尊、兄神・五十猛命と記されている。姉神のオオヤツヒメは大屋都比賣神、大屋津姫命、妹神のツマツヒメは抓津姫神、抓津姫命、都麻都比賣命、爪津姫神などと表記する。
オオヤツヒメの神名の「ヤ」とは、家屋の事であり、彼女が樹木を司る神であると同時に、樹木から作られる建造物、家屋や船などの神である事を示している。ツマツヒメの「ツマ」は建物を築くために製材した材木を意味する。
また、木種を全国に撒く事は、子供を産む力を持った女性として、彼女たちは生殖を司る神でもある事を意味する。現在においては、兄神五十猛命と共に木の文化を司るとされ、林業や建築業の女神として信仰を集めている。

歴史・由緒等

由緒 当社の創立は丹後一覧記によると垂仁天皇(十一代)代川上麻須の勧請に係るものと云う。
伝承に依れば久美浜町谷の足洗井戸があり祭神が始めて留りし地であり野中、安養寺を経て船にて女布に着き小字舟処に上陸されたという。この附近に幟立ての小字があり道路そばに船石がある舟を埋めたという。
延宝3年(1676)女布明細帳によれば通称長船大明神と言えりとあり南方170mの地には布杜神社があり売布神社を大宮、布杜神社を小宮とよんでいる。
明治5年4月氏子調査に依れば九ヶ村あつたがその後七村となり女布、丸山、郷、野中、安養寺、円頓寺、谷の七村を云う。
元祭は旧9月2日牛の日である。
文化10年(1813)久美浜代官塩谷大四郎正義氏の奉納刀がある。
久美浜町教育委員会
久美浜町文化財保護委員会   「社頭掲示板」

船石(式内売布神社)

この船石は当神社の祭神が乗って来られた船を埋めその上にしるしとして置いたものと言い伝えられ、古くから船石と呼ばれている。社前近くの路傍にあったが道路舗装のため昭和47年に境内に移転した。
手水舎の舟型水鉢は安永3年(1774)当時の七ヶ村氏子中がこの言い伝えに因んでこれを造り祭神に氏子中の安全と繁栄を願ってお供えしたことが刻まれている。
平成4年4月
久美浜町教育委員会
久美浜町文化財保護委員会   「社頭掲示板」

境内・社叢

  
鳥居                        手水舎


境内案内板

  
拝殿                        拝殿側面


拝殿・本殿

  
境内社                  千度石

地 図

京都府京丹後市久美浜町女布724

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

2009年3月13日、2012年5月13日

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