京田辺市・八幡市・城陽市・井手町・宇治田原町(綴喜郡) 京都(山城国)

式内 月読神社(京都府京田辺市)

概 要

社 号 月読神社
読み つきよみ
近世は御霊社と呼ばれていた
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 月読神社(大 月次/新甞)

所在地 京都府京田辺市大住池平31
御祭神 月読命(つくよみのみこと)
配祀神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊
例祭日 10月14日宵宮 大住隼人舞「松明の舞」
15日 例祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡 14座(大3座 小11座)
式内大社

近代社格制度 旧村社
創建   大同4年(809)創祀
本殿様式 一間社春日造

境内摂末社(祭神)

若宮八幡宮(祭神誉田天皇)、嚴島神社(市杵島姫命)、塞神社(道友大神)、宇賀神社(雅宇迦能売命)、事比羅神社(事代主神)、天満宮(菅原天神)
文化財

一口メモ

大隅中学校の隣りで道路に面しわかりやすい。だが、付近に駐車場がないので土曜の朝のため通行量も少ないので路駐した。反対側にあったかも知れないが不明。境内は広く立派な神社。

歴史・由緒等

大住国から 当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ、又一説には平城天皇の大同4年(西暦8 09)大住山に霊光を拝して神殿を造営されたのに始まり、その後貞観元年8月に月 読神社といわれている。貞治3年葛野義威が神殿を再興し慶応4年正月石清水八幡宮 が戦火を避けて当社へ、一時遷座された事のある格式の有る神社です。本殿は東面し 、一間社・流造・板葺で明治26年再建。
『全国神社祭祀祭礼総合調査』 神社本庁 平成7年

月読神社の歴史は、大同4年(西暦809年)宮殿を平城京より平安京に遷座されし時、大住山において霊光を拝し、ここに宮殿を創る。又当社は天下の疫病を鎮めしにより御霊社の名ありしという。貞観元年(859年)月読社と称える。元慶6年(877)神階をさづけられ、従一位、勲二等。承暦元年(1077)天下が天然痘に悩むに付き勅使参弊ありという。建久6年(1196)源頼朝、鎌倉より上洛して当社に神馬を献じ、松井及び河内、交野郡招提を神領として寄進した。貞応2年(1222)鴨武隅命の嫡子、葛野家友によって社殿再建。元弘元年(1331)後醍醐天皇、笹置山に遷せられし時、大住一族並びに岡本弾正久織等、味方にはせ参じ当地戦乱のちまたとなり、社殿兵火にかかるという。貞治3年(1365)葛野義威神殿再興する。至徳3年(1387)御牧の伊豆前司基貞と大住飛騨守義季と争い合戦のため御霊社焼失。康応元年神殿修理する。天文11年(1542)大住城主、大住石見守元保と八講寺城主東長門盛章等社殿にて勧進能を行う。文久3年(1863)神興再興。慶応4年(1868)石清水八幡宮が当社に遷座した。それより神饌料として玄米一俵奉納あるを恒例とした。
毎年1月8日これを行い来ったが、今は絶えている。明治26年(1893)本殿改築し帝室技芸委員で名古屋の伊藤平左衛門の設計により竣工した。これが今の社殿である。大正13年(1920)東宮御成婚記念として、社務所の大修理があった。この神社は、かく往古から大住村の生活の中心をなし大住村が京都の曇華院領であったことから今も同院との関係がつづき毎年10月14日の当社宵宮の献饌を10月15日に当家の者が持参して嵯峨の曇華院門跡に献上するのを例としている。
宮司 南啓史
月読神社総代 「社頭掲示板」

境内・社叢

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社号標             鳥居扁額

IMG_4973 手水舎

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京田辺市案内板

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二の鳥居                 拝殿

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本殿                   本殿左境内社御霊神社

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右手境内社

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厳島神社

地名・地誌

大住

九州南部の大隅隼人が奈良時代大住に移住した。「社頭掲示板」

地図

京都府京田辺市大住池平31

交通アクセス・周辺情報

参 考

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