式内 咋岡神社(草内)
Contents
概 要
社 号 咋岡神社
読み くいおか
延喜式神名帳 式内社 山城国綴喜郡 咋岡神社
所在地 京都府京田辺市草内宮ノ後5
御祭神 稲倉魂神(うかのみたまのかみ) (配祀) 菅原道真(すがわらのみちざね)
例祭日 10月14日 座祭 10月15日 例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
綴喜郡(ツヅキ) 14座 大3座 小11座
式内社
近代社格制度
創建 健治年間(1274-78)
本殿様式 春日造 檜皮葺
境内摂末社(祭神)
若宮八幡宮・末社合祀殿(祈雨社・八幡宮・天照皇太宮・春日社)・稲荷神社
一口メモ
飯岡から北へ進み、左折して草内小学校前で左手に鳥居。参道を進むと新しい稲荷神社の朱塗り鳥居が立ち並び、左手に当社の二の鳥居とがある。平成14年に修復工事がおこなわれたようで、社殿や鳥居・狛犬、石畳等きれいである。
歴史・由緒等
古くは天神社と称したが、明治26年(1893)柞岡神社と社名を改めるとともに、それまでの主神菅原道真を配神とし、倉稲魂神(ウカノミタマ)を主神とした」
飯岡の咋岡神社に記している通り、当社の旧社地は、当社の北約1.2km付近の2河川(木津川・普賢寺川)合流地点付近にあったといわれ、山城綴喜郡誌(1908・明治後期)には、
「本社は元当字の北境(草内)宮ノ森に鎮座ありて、当所外2部落(草内・飯岡)の総社なりしが、永享年間(1429–41)、洪水のため被害ありしを以て、各部落に分離したるに際し、当社(飯岡の咋岡神社)は其の宮元なるにより、尊像・稲倉魂神(ウカノミタマ)を奉迎し、現今の地に勧請奉祀せしものなり」「明治8年(1875)、式内社・咋岡神社として認定された。」
とあるという(式内社調査報告・1979)。
草内の当社は、式内社とはいっていない。おそらく洪水から逃れるには、平地の草内より高台の飯岡に遷されたと考えるのが妥当だろう。しかし、参道入口に掲げる案内(同上)には、
「創祀年代は建治年間(1275–78・鎌倉後期)といわれ、応仁年間(1467–69・室町中期)、永正年間(1504–1521・室町後期)に戦火により焼失したが、天文3年(1534)に再建されたと伝える。古くは天神社と称したが、明治26年(1893)柞岡神社と社名を改めるとともに、それまでの主神菅原道真を配神とし、倉稲魂神(ウカノミタマ)を主神とした。」
咋岡神社は、永享年間(1429–41)、洪水のため(草内)宮ノ森から遷したとあるから、それ以前の鎌倉期にはすでに現在地にあったが、当初は天神社と呼んでいた。だから、飯岡の咋岡神社が明治8年(1875)式内社・咋岡神社として認定されたので、当社が式内社とはいっていないのはそのためだろうか。しかし、草内・飯岡2集落の総社だったのであり、旧社地は草内宮ノ森であるなら草内にも咋岡神社を祀り、遠慮しないで「式内社 咋岡神社」でもいいと思う。式内 咋岡神社論社であるのは間違いない。
境内・社叢
一の鳥居 社号標
一の鳥居脇狛犬
二の鳥居 割拝殿
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幣殿 本殿
本殿左手境内社 若宮八幡宮 本殿右手境内社 末社合祀殿(祈雨社・八幡宮・天照皇太宮・春日社)
境内社 稲荷神社
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
「延喜式の調査」さん
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