式内 須美袮神社
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概 要
社 号 須美袮神社
式内社 出雲国大原郡 同社(宇能遅神社)坐須美禰神社
読み:古 ・・・スミネ、現 すみね
『出雲国風土記』 「宇能遅社」
所在地 島根県雲南市加茂町立原115
旧地名
御祭神
須我祢命(すがねのみこと)猿田彦命(さるたひこのみこと) 天鈿女命(あめのうづめのみこと)
祭礼 10月20日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
大原郡(オホハラ):13座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 不詳
本殿様式 大社造
境内摂末社(祭神)
金刀比羅神社・社日神社
一口メモ
以前、大量の銅鐸出土で知られる加茂岩倉遺跡や出雲市斐川町の荒神谷遺跡を訪ねたので加茂町へは2度目となる。日が暮れてしまい、またゆっくり廻る機会があるとして廻れる神社を駆け足で。
歴史・由緒等
出雲風土記に「汗乃遅社」延喜式に「同社に坐す須美祢神社」である社で宇治にあった社である。同社という意味は合社でなく、別社として官幣を捧げた由緒ある社である。現在の宇能遅神社(宇治)とは深い関係のあった神社である。棟札の記録によれば「天文9年9月(1536年室町時代)再興」とあり宇治より須美祢神社を立原の地に再興し宇能遅神社の御祭神のうち須我祢命を勧請したものであり後年猿田彦命天鈿女命を合祀したものである。更に雲陽誌(1718年)享保2年に「立原村に宇治大明神あり」と記載されているがこれから考えると立原が宇治とともに近松の庄に入っていた頃に称されたものと思われる。以来数度にわたり社名の変更があったが明治4年12月現在の須美祢神社と称されるに至った。明治29年客神社を合祀し現在に至っている。
全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年
境内・社叢
鳥居
狛犬
拝殿 拝殿扁額
本殿 境内社
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