上鴨川住吉神社(式内 住吉神社)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 住吉神社
読み:古 現在
上鴨川住吉神社
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 住吉神社
読み:
所在地 兵庫県加東市上鴨川571
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神 上筒之男命 中筒男命 底筒男命 息長足姫命
例祭日 10月4・5日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)

近代社格制度  旧村社
創建      年代不詳
本殿様式    三間社流造 桧皮葺箱棟銅板包み

境内摂末社(祭神)

文化財

本殿 国指定重要文化財
神事舞 国指定重要無形民俗文化財
神事能面12面 兵庫県指定文化財

一口メモ

国道372号線を丹波の篠山市方面。播磨の最北西部で旧東条町の東条湖の北になる。
東播磨には住吉神社が大変多い。小野市5、三木市4、西脇市5、加東市14、加古川市4、明石市10、稲美町1、神戸市西区2、加西市4。(多少数え間違いがあるかも知れない)式内住吉神社論社だけでも三社比定されている。摂津住吉大社の神領となったためらしい。式内社住吉神社比定社のみ廻った。

歴史・由緒等

由 緒

創立は不詳。上鴨川村を中心とする付近の総氏神としての位置を占めたが、江戸時代に氏子が分離し各村に住吉神社が創建された。以来、上鴨川村の氏神として今日に至る。

厳格な宮座制度を脈々と守り続け、約700年間受け継がれてきた神事舞がある。

本殿は昭和45年に解体修理され、朱緑の鮮やかな色彩が施された。外観は普通にみる三間社流造り桧皮葺であるが、床下転用古材などから創建当時は四間社であったと見られる。

棟木墨書銘によると
一番造営(創建)鎌倉時代正和5年(1316)
二番造営(修理)室町時代永享6年(1434)
三番造営(修理)室町時代明応2年(1493)
本殿 昭和35年6月9日 国指定重要文化財
明治7年(1874)2月 村社に列せられた。

祭記事
10月4日(宵宮)5日(本宮)の両日、約700年の永きに渡り厳格な宮座制度に支えられ伝え続けられてきた神事舞を奉納する。
かつて、宮座には24軒株があり左右両座に分れて交互に祭儀を務めた。現在では株制も両座制もなく氏子のどの家からも宮座に加われるが、しかしながらそれは長男に限られる。他から養子に来た者や、二男・三男は宮座に加わることは許されず、別のギオン座にて祭儀の末端的奉仕役を務める。女人も一切の関与を許されない。
神事舞にはリョンサンの舞(太刀舞)・獅子舞・田楽の舞・扇の舞(入舞)・高足などがあり、五穀豊穣や無病息災を祈願する。古式をよく残
し芸能の成立を探る貴重な存在となっている。

昭和52年5月17日
国指定重要無形民俗文化財

-「兵庫県神社庁」-

寛文6年(1666)氏子間に紛争が生じ各地区が住吉神社を建てて独立

由緒書

播磨平野の広がりがようやく東北の産地にかかろうとする所、加東郡社町上鴨川野尻山麓に住吉神社がある。
その宮居のたたずまいもさることながら、厳格な宮座組織に支えられ、7世紀の永きにわたって毎年欠かす事なく伝え続けられてきた神事舞は、古式をよく残し、全国的に見てもその価値は高い。中世のかおりを色濃く残した数々の神事芸能は、その遺風から芸能成立のプロセスや系譜を探るのにはこよなく貴重な存在である。
毎年、10月4・5日両日に繰り広げられる祭事は、これを挟んで一年間精進潔斎して行われる多くの神事のいわばクライマックス。村人たちが、五穀豊饒・無病息災を願って神前に祈る素朴で敬慶な心情の凝固を、今に伝えたのがこの神事舞である。
昭和52年5月17日、神事舞としては兵庫県下ではじめで国の重要無形民族文化財指定を受けた。

厳格な宮座制度

上鴨川住吉の神事は、厳格な世襲的宮座制度によって支えられている。
この宮座は、若衆・清座・年老・横座により組織されるが、宮座に入ることができるのは、上鴨川村70余軒すなわち住吉神社氏子のなかで、この地に生まれた長男のみに限られる。どんなに古い格式の家柄であっても、次男三男以下であれば絶対に入ることは許されず、ギオン(祇園)座と呼ばれる別の座で祭儀の末端的奉仕役を努めるだけである。
また、女性は、本殿、長床、舞堂などへ足を踏み入れることも厳禁され、神事にでる子供の身繕いさえ手伝うことも許されない。

宮座の組織
若衆…一家の長男で、8歳から9歳ぐらいで宮座入りする。次の「清座」になるまで17、8年もっぱら祭りの舞いを行う。
清座…8人。若衆を終わった者が毎年一人ずつ入り、これと入れ替わりに一人が「年老」になる。若衆の指導、先導的役割。祭りの実質的指揮者。
年老…「清座」を終えた者全部がこれになり、32、3歳から一生涯続く。神事に直接関与せず、神事の根本的なことや経済面などを協議する。
横座…正副横座があり、神事の最高責任者。「年老」の最高位。
神事舞
10月4日、午後5時少し前、宮座の若衆、清座の衆が村を出発し1キロメートほど離れた神社へ向かう。太刀を先頭に、本鼓の音で囃しながら。 畔には赤い曼珠沙華が風に揺れ、稲穂は黄色く色付き刈り取りを待っている。
神山川と鴨川の合流するところに住吉神社は鎮座する。若衆はこの神山川で水浴び潔斎をすませ、正面の石段から宮入りする。
若衆は、本殿前の割拝殿で宮めぐりの身支度をする。侍烏帽子、紺地に白く鶴亀模様を染め出した麻地の素襖、袴。小刀を帯し、右手に白扇、左手に洗米一握りを白紙に載せて捧げる。素足である。
午後6時ごろ、清座3名が持つ松明に火が灯され、これに先導され、あるいは促され、太刀を先頭に宮めぐりが始まる。おごそかに、最も厳粛に。「上鴨川住吉神社 神事舞」の始まりである。

【住吉神社の建築】

▽当社の境内には前庭をはさんで割拝殿・舞殿・長床などが配され、古い神社構成の形式を残している。本殿は昭和35年6月9日に国の重要文化財指定をうけ、昭和45年1月から同年12月にかけて解体復元修理が施された。
この本殿は三間社流造桧皮葺箱棟銅板包みで、内陣を一段高くとって5区に分け、向って右4区に住吉四社〔上筒男命・中筒男命・底筒男命・息長足姫命〕を祭っている。
こうした形式は、近くの大川瀬・住吉神社本殿(重文・室町初期)にもみられ・この種の神社の地方色をよく示したものといえる。細部の手法もすぐれており、ことに向拝(こうはい)の手挟(たばさみ)は美しく、輪郭も力強く、葉飾りの彫刻意匠はすばらしい。
向拝など一部に後補はあるが、妻飾り・つなぎ虹梁・内陣まわりなどは、室町時代中期の特徴をよくとどめている。
棟木に書かれた墨書銘によると、鎌倉時代の正和5年(1316)に創建され、つづいて永享6年(1434)・に再建、ついで明応2年(1493)に建立したのがいまの本殿であるという。さらに、天井梁・内陣扉口小脇板内面などに書かれた墨書から、本殿は明応元年12月に杣始(そまはじめ)がおこなわれ、同2年6月上棟されたことがわかる。
その後の修理については、棟札と墨書により貞享3年(1686)年に丸桁(がんぎょう)を含む軒廻り以上の大修理があり、向拝頭貫(こうはいかしらぬき)・木鼻蛙股などが取替えられた。さらに、享保6年(1721)に小屋組と屋根の修理があり、文久2年(1862)には、屋根を葺き替えた記録などがある。

「延喜式神社の調査」さん

境内・社叢

  
案内板                  参道

  
手水舎                 鳥居・拝殿

  
舞殿(能舞台)             長床(観覧所)

  
狛犬

  
本殿 国指定重要文化財

  
左境内社                 右境内社


右境内社

地名・地誌

地 図

交通アクセス

公共
◆神姫バス「社→清水」の「住吉神社前バス停」より徒歩1分
◆JR福知山線「相野駅」より神姫バス清水行き、清水より社行き「住吉神社バス停」
交通・車
◆国道372号線を篠山方面「上鴨川信号」を右折
◆東条湖入り口に当たる「黒谷信号」を東条湖方面「おもちゃ王国」分岐点右方向、突き当たり「鴨川小学校前」を左折

周辺情報

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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