郷社 斎(いつき)神社
Contents
概 要
社号 郷社 齋神社
読 み:古 イツキ 現 いつき
所在地 兵庫県養父市長野字東山265
旧地名 但馬国養父郡建屋郷
御祭神 天太玉命(アメノフトダマ) 手置帆負命(タオキホオイ) 彦狹知命(ヒコサシリ)
例祭日 10月9日 「お走り祭り」
社格等
近代社格制度 旧郷社
創建 伝:聖武天皇の天平2年(西暦730年)
本殿様式
境内摂社(祭神)
歳徳金社、招魂社
摂社楯縫神社 式内社 但馬国養父郡 楯縫神社 彦狹知命(論社)
文化財
兵庫県登録文化財 摂社楯縫神社本殿
一口メモ
養父市の養父神社と斎神社で行われるお祭り「お走り祭り」有名な神社。
歴史・由緒等
境内社に楯縫神社があり、祭神彦狹知命。こちらも但馬国養父郡の式内楯縫神社の論社になっている。
斎神社
祭神 天太玉命 手置帆負命 彦狹知命
由緒 聖武天皇の天平2年(西暦730年)の創立と伝えられ、足利時代山名氏の崇敬を受け、江戸時代は生野代官の信仰を得たり。お走り祭りの伝説
お走り祭りは、養父神社の神輿が4月15日・16日の二日間「ハツトウ、ヨゴザルカ」と掛け声を掛けあいながら、斎神社までの往復40Kmの道のりを練り歩く祭りである。神輿は重さ150Kgもあり、途中川渡御をしながら進む奇祭である。斎神社拝殿に奉納されている絵馬から、江戸時代の祭りの様子がうかがえる。この祭りの由来については「神代の昔、円山川下流地域は、泥海になっておりなんとかこの地が豊かな農地にならないかと但馬五社の神様が寄られ、相談されたところ。土木の神様である斎明神にお願いしてはということになり、その名代として養父大明神が鮭の背にのって川を遡り、ちきり渕からお願いされた。斎明神は快く引き受けられ、早速川を下られ、円山川河口の瀬戸を切り開かれると、泥海はたちまち引いて肥沃な土地が現れた。喜ばれた五社の神様は、再び養父大明神を名代として旧暦師走(12月)の未の日と申の日にかけてお礼参りされた」のが、お走り祭りの始まりと伝えられている。なお、明治10年より4月15日・16日に祭日が変更された。
「社頭掲示板」
由 緒
聖武天皇の天平2年(730)の創立と伝へ現在地より300mばかり隔てた丘陵に鎮座せり。鎌倉時代神田一反歩を有し、足利時代、山名氏の崇敬を受け、江戸時代、生野代官の信仰を得たり。明治6年(1873)10月村社に列し、昭和10年(1935)10月郷社に昇格せり。
毎年4月15、16日の両日、但馬開発にかかわる伝説として、16km離れた養父神社より神輿の渡御あり。
「兵庫県神社庁」
境内・社叢
鳥居 案内板
二の鳥居 狛犬
残念なことに2009-8月9日、北部豪雨による土砂崩れで、斎(いつき)神社の社殿が拝殿・本殿が倒壊してしまった。
地元では10月に復興委員会をつくり、まずは本殿を解体修復して再建することを決め、11月から業者による解体作業が始まっている。しかし、保険や住民による寄付では土砂の撤去や解体が限界で、再建への予算はめどが立っていない。また、指定文化財でもないことから、公的な資金援助も難しい状況という。
そこで同委員会は、引き続き地元からの資金調達と並行して、元旦から2日間、但馬五社と當勝神社(朝来市)の境内に募金箱を置き、氏子らが斎神社1 件の苦境を説明しながら募金を呼び掛ける。復興委員会は「今回の被害は神様が身代わりになってくれたものと考えている。一日も早く再建させたいが、限界があり、たくさんの人の協力をお願いしたい」と話している。(神戸新聞(原田大介) 2009/12/31 09:35)
摂社 楯縫神社
兵庫県登録文化財 摂社楯縫神社本殿
式内社・楯縫神社の論社。「神祇志料」には「楯縫神社 齋明神といふ」とあり、昔は境内社ではなく、齋神社そのものを楯縫神社と考えていたようだ。
兵庫県登録文化財 摂社楯縫神社本殿
養父市教育委員会「養父市まちの文化財」H25.3.1
この建物は宝暦10年(1760)に斎神社本殿として建立されたもので、本殿新築によって摂社楯縫神社本殿となった。
境内社 歳徳金社、招魂社
楯縫神社は、養父市建屋字宮山839にも鎮座する。
御祭神 彦狹知命(ひこさちのみこと・楯縫連の祖神)
養父市建屋字宮山839
建屋川の支流・宮川に沿って東へ1Kmほど遡る。
持統天皇三年(689)の創立と伝えられ、
中古は妙見宮と称していた。
永禄六年(1563)、明暦三年(1657)に
本殿を造立。
明治二年、楯縫神社と改称した。
境内社 中央が楯縫神社
楯縫神社
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
参 考
但馬の神社と歴史三部作
0件のコメント