保津八幡宮(式内請田神社頓宮)
Contents
概 要
社号 保津八幡宮社(式内請田神社頓宮)
読み:ほづはちまんぐう
所在地 京都府亀岡市保津町宮ノ下
旧地名 丹波国桑田郡
御祭神 応神天皇
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
桑田郡(クワタ):19座(大2座・小17座)
近代社格制度
創建
本殿様式
境内摂社(祭神) 式内請田神社頓宮、日吉大神、貴船神社、多賀神社、籠神社等
文化財
一口メモ
式内 請田神社は、保津川を挟んで亀岡市篠町山本の式内 桑田神社の対岸に鎮座する。
山陰道/国道9号線矢田口(交差点) を左折して、春日坂/府道25号線 に入る
1.1 kmで右折してそのまま 府道25号線 を進む。
右折してそのまま 府道25号線 を進む。
700 mで保津橋を渡り、信号手前の401号線を右折すると50m。
鳥居横の街路灯の看板に「請田神社・八幡神社」とあったので、ここだと思い、奥に式内請田神社があるとは分からなかったので、また別の機会に訪れたい。
歴史・由緒等
御祭神は「応神天皇」
創祀は不明。社殿は寛永13年(1636年)に造立されたそうです。大洪水によって北桑田郡の細川村にあった八幡宮が保津の地に流れ着き、ここの住民が再建したのが始まりとされています。保津地区は請田神社と保津八幡宮の二神を祀っています。請田神社が一時期保津八幡宮に遷座されていたことで、八幡宮内には請田神社の頓宮があり、請田神社の例大祭の宵宮では両神社合同で「火まつり」を行います。
境内は平たんで広く、摂末社は日吉大神、貴船神社、多賀神社、籠神社等があります。
京都府神社庁の名簿では「八幡宮社」となっていますので、こちらが正式な神社名だと思います。
式内 請田神社
創祀年代は不詳。
現在の保津峡は、近世には浮田(ウケタ)峡と呼ばれていたため
保津峡の出口にある当社と対岸の桑田神社は浮田明神・請田明神と称されていた。
境内案内によると、祭神・大山咋命は自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き、亀岡盆地を開拓した神。
その開拓の開始の鍬入れを「受けた」ので、請田と呼ばれているという。
社地の名を岩尾と云ったらしく、式内社・石穂神社に比定されている古社。
集落から遠いので、集落内に当社の遥拝所(請田神社)を設けていたが、永禄六年(1563)に兵火にかかり焼失。
寛永十三年、当地の豪族村上氏が、その跡地に八幡宮を創建し、八幡宮の傍らに請田神社の頓宮を再建したという。
秋の大祭には、当社から八幡宮内の頓宮に神霊を迎える火祭が行われるという。
祭神が、京都松尾神社と同一であるためか、また、保津峡の両端に対峙した位置にあるためか、当社を式内社・松尾神社とする説もあるらしい。
境内・社叢
鳥居 鳥居扁額
手水舎
社殿
請田神社頓宮 境内社
例祭日
保津の火祭り
五穀豊穣を祈願して行われ、 保津八幡宮と請田神社を、花傘・太鼓・榊・剣鉾:神宝・行灯などを持った行列が往復する。 保津八幡宮の頓宮前では火が焚かれ、「あつい・あつい」と言いながら、行列が火のまわりを3回廻って奉持物を神殿に納める。この火にあたると、その年の健康を約束されると言われている。高張り提灯の行列が行われる。
保津町の八幡宮で、請田神社例祭の宵宮に五穀豊穣を祝い行われる行事。境内で太鼓みこしを打ち鳴らし火柱を回ることから、「保津の火祭り」として知られている。
68基からなる高張り提灯の行列が奉納へむかう道中は、太鼓を叩く赤熊(しゃぐま)と榊持ちの子どもたちが、はやし声を交わしながら進んでいく。
-亀岡市観光協会ほか-
地名・地誌
地図
交通アクセス・周辺情報
参 考
『延喜式の調査』さん、他
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