式内 石作玉作神社
Contents
概 要
社 号 石作玉作神社
読 み かみさきじんじゃ
式内社 近江国伊香郡 石作神社
式内社 近江国伊香郡 玉作神社
別 名 江戸時代は「石作玉作八幡大明神」
所在地 滋賀県長浜市木之本町千田793
御祭神
御神紋
例祭日 4月5日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
伊香郡 46座 大1座 小45座
近代社格制度 旧県社
創建 仁寿元年(851年)正月、正六位上を授かっているのでそれ以前
本殿様式 一間社流造
拝殿様式 入母屋造 間口三間 奥行三間
境内摂末社(祭神)
招魂社
一口メモ
JR木之本駅の東。北陸自動車道木之本I.Cから東に国道303号線、365号線、県道281号線を石道へ進む。この地は玉作神社の地で、文明3年(1471)石作神社が兵火焼亡したため、石作神社を遷し、石作玉作神社とした。
歴史・由緒等
遠い昔、この地に石作連玉作連という技術集団が住んでいた。石作玉作神社はそれぞれその祖先をお祭りし延喜式神名帳にその名を列している。
即ち石作連は天忍穂耳尊の御子天火明命6世の孫建真利根命より出たことが新撰姓氏録に記されている。
又垂仁天皇の皇后日葉酢媛命が崩御されたとき石棺を作って献上した記録がある。
玉作連は高魂命御孫天明玉命(別名玉祖命)の子孫で天津彦日瓊々杵尊が芦原の国降臨のときに従って神事用の玉を造作した事が記録に残っており当地の南500mの所に古墳時代日本最古の玉作工房群の遺跡がある。
この両部曲 は何れも古代における高度な文化を持ち、木之本町南郊での経済上人文上の中心をなしていたと考えられる。
しかし、度々の戦禍で社殿は焼失しその都度村人相協力して再建してきたが、文明4年(1472)当地の地頭であった佐々木民部少将が両社を合祀し、更に千田の里邑の産土八幡の神を相殿に祀った。
現在の社殿は延宝5年(1677)村人達によって再建したもので、大正11年(1922)に県社に列せられた。玉垣移転記念
平成13年11月吉日 之建「社頭石碑」
境内・社叢
鳥居 社号標
神橋 手水舎
狛犬
拝殿 拝殿扁額「石作神社・玉作神社」
本殿
本殿左手境内社 招魂社
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