神﨑神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社 号 神﨑神社
読 み: かんざき
愛称「荒神(こうじん)さん」
所在地 鳥取県東伯郡琴浦町大字赤碕1467
旧地名 伯耆国八橋郡
御祭神 素戔鳴命(すさのお のみこと)
例祭日 7月28日「波止のまつり」

社格等

近代社格制度 旧村社?
「因幡伯耆國 開運八社巡り」

創建     室町時代末期の創建とも
本殿様式   一間社入母屋造

境内摂社(祭神)

文化財

神崎神社本殿、拝殿の扉・向拝(ごはい)天井の龍他
■県 指 定 保護文化財(建造物、彫刻)
■指定年月日 昭和27年9月15日
文化財に指定されているのは、本殿と拝殿の扉・向拝の彫刻である。本殿は、方(ほう)二間(にけん)(桁(けた)行(ゆき)2.06m、梁(はり)行(ゆき)1.91m)の権現造(ごんげんづく)りで、通称八(や)ッ(つ)棟造(むねづく)りと言っている。

正面の入母屋(いりもや)の屋根は長く伸び、軒は唐(から)破風(はふ)の向拝となっている。軒廻り(のきまわり)繁?(しげたるき)、三方は勾欄付(こうらんつき)の小縁(こえん)が設けられ、縁の腰組は三手先(みてさき)の斗?(ときょう)で緻密な構成からなる総欅造(そうけやきづく)りである。

本殿は、向拝の唐破風(菊、龍、葡萄とリス)、屋根下(鳳凰、龍、象、蝶など)、木(き)鼻(ばな)(楓、菊、大根と鼠など)といった箇所に彫刻が施されている。また、拝殿の向拝には、天井に豪快な刀法で龍が彫られているほか、木鼻の獅子にも量感がある。

本殿は、鳥取藩のお抱え宮大工小倉(おぐら)園(その)三郎(さぶろう)によって嘉永6年(1853年)に建立されており、拝殿は小倉園三郎の孫、平次郎が明治12年(1879年)に建築完成した。

なお、当神社の創建は定かではないが、現存する一番古い棟札は、享保18年(1733年)9月12日である。

棟札7枚も県指定保護文化財に指定されている。

一口メモ

JR赤碕駅前から東へ旧山陰道が残る赤碕集落へ参道は二ヶ所あり正面の参道を登ったが、反対側から細い道だが車でいける。

歴史・由緒等

神﨑(かんざき)神社の創建由緒は不明ですが、室町時代末期の創建とも言われています。現在の本殿は、嘉永元年(1848年)に棟上げされ、鳥取藩主おかかえの大工によって建築され、拝殿向拝天井には、ケヤキ材の彫刻が施され、建築というよりは、工芸品といえるぐらい素晴らしいものとなっています。この地方では珍しい「一間社入母屋造」の社です。地元では「荒神(こうじん)さん」の愛称で親しまれ、水産開運、牛馬の守護神として県内外から厚い信仰を集めています。
また、50年以上の歴史のある例祭では、神輿を船上に乗せ海上を周回し、海上安全や大漁祈願する船御幸が行われます。船御幸を盛り上げる約20隻大漁旗の姿は勇壮です。前夜祭には花火大会が行われます。

本殿は嘉永6年(1853年)、拝殿は向拝天井の“龍の彫刻”と共に明治12年(1879年)に完成しました。牛馬の守護神として信仰があつい神社です。

御祭神:素戔鳴命(スサノオノミコト)
例祭日:7月28日

「波止のまつり」と呼ばれ、7月27日には前夜祭として花火大会が開催され、28日には御神輿や船御幸で盛り上がります。

龍の彫刻
拝殿向拝天井にケヤキ材の彫刻が施されており、建築というよりは工芸品といえるぐらい素晴らしく、見る人を圧巻させる迫力があります。他にも、人物・鳥獣・竜宮城などの彫刻もあり、その美しさは見事です。彫刻を鑑賞しながらゆっくりと境内を散策されてみてはいかがでしょうか♪

「琴浦町観光協会」

金持神社、福榮神社などのパワースポットを巡る「開運八社」に、その年の干支にちなんだ神社を巡る「因幡伯耆国 開運八社巡り」。
2011年の干支「卯」所縁の神社「白兎神社」を組み合わせた「卯乃年 因幡伯耆国開運八社巡り」に続き、今年の干支「辰」所縁の神社「神﨑神社」を組み合わせた「辰年 因幡伯耆国開運八社巡り」が2011年12月から始まりました。

鳥取県の旧伯耆国は古来より良質の砂鉄が採れる事から「たたら文化」が隆盛した歴史を持っています。近年話題にのぼる「金持神社」の名前は良質な鉄が産出する地域「金持」に由来すると言われ、「樂樂福神社」(ささふくじんじゃ)の伝承に「ささ」は砂鉄のことであり、「ふく」は製鉄炉への送風の意味であると伝わっています。
開運八社の各神社も「福」の字を冠した神社が多く、(「ふく」=製鉄炉への送風)古来よりたたら製鉄がおこなわれた名残であると言われています。このたたら文化を今に伝える縁起の良い名前の神社八社に、本年の干支「辰年」に因んだ「神﨑神社」を加えて「辰年開運巡り」を企画いたしました。

福富神社 倉吉市福富326
福積神社 倉吉市福積719
豊榮神社(とよさかじんじゃ) 東伯郡琴浦町勝田245
富益神社(とみますじんじゃ) 米子市富益町936
金持神社 日野郡日野町金持74
福成神社 日野郡日南町神戸上2317
福榮神社 日野郡日南町神福1247
樂樂福神社(ささふくじんじゃ) 日野郡日南町宮内1101

「社団法人 鳥取県観光連盟」

境内・社叢

  
神社参道前                      道の北はすぐ日本海赤碕港

  
正面参道                       西の参道 駐車場がある

  
鳥居                    手水舎

  
境内                    拝殿


石灯籠

   
狛犬

  
拝殿扁額                 見事な彫刻

  
本殿                   拝殿

境内摂社

  

地名・地誌

古くは「赤崎」と書いたが明治以降に現在の「赤碕」のと記すようになった。赤碕は古くからの港町だったが、本格的に栄え出すのは江戸時代になってから。赤碕が伯耆街道(山陰道)の宿場町となり、八橋郡の中心として藩蔵が置かれると町は政治経済の中心地として発展。

1889年(明治22年)10月1日 町村制施行。赤崎村・豊定村・保永村・以西村・安田村が合併し、八橋郡赤崎村が発足。
1896年(明治29年)3月29日 八橋郡が河村郡・久米郡と合併して東伯郡となり、東伯郡赤崎村が発足。
1900年(明治33年)3月27日 赤崎村が町制施行し赤碕町となる。
1954年(昭和29年)1月1日 赤碕町・以西村・安田村・成美村が合併し、新・赤碕町が発足。
2004年(平成16年)9月1日 赤碕町・東伯町が合併し、琴浦町が発足。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

琴浦町


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