車折神社・芸能神社
Contents
概 要
社号 車折神社
読み:くるまざき
所在地 京都府京都市右京区嵯峨朝日町23
旧地名 山城国葛野郡
御祭神 清原頼業(きよはらのよりなり)
例祭日
例祭は5月14日で、その延長神事として5月第3日曜日に「三船祭」が行われる。
社格等
創建
本殿様式
境内摂社(祭神)
大国主神社
弁天神社
芸能神社
一口メモ
車折神社は、東映や松竹の撮影所が近くにあることから、映画やドラマのロケによく使用されている。境内社の芸能神社(げいのうじんじゃ)は天宇受売命を祀っており、芸能・芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。
気をつけてすべての境内社も参拝しつもりだったが、『神社公式サイト』を見ると、まだ参拝していない境内社があった。
歴史・由緒等
ご祭神・清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。
頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程です。
頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。
また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました。
-『神社公式サイト』-
境内・社叢
大鳥居 表参道方面から大鳥居
第三鳥居・表参道
中門 普段は通り抜け禁止 手水舎
本殿
芸能神社
御祭神 天宇受売命(あめのうずめのみこと)
昭和32年に他の末社より御祭神・天宇受売命を分祀申し上げ創健した神社。天宇受売命が芸能・芸術の祖神として古来より崇敬される所以は、<神代の昔、天照大御神が弟である素戔鳴尊の行いを逃れ、天の岩戸にお入りになり固く扉を閉ざされたためにこの世が暗闇になった。
その時、天宇受売命が岩戸の前で大いに演舞され、天照大御神の御神慮をひたすらにお慰め申されたところ、大御神は再び御出現になり、この世は再び光を取り戻した。>という故実にもとづく。
東映太秦撮影所に近く、あらゆる芸能・芸術の分野で活躍する人たちに強い信仰があり、芸名・ペンネーム・劇団等の団名を記した朱塗りの玉垣が2000枚以上奉納されている。
境内社
境内社 水神社 境内社 愛宕神社
表参道脇境内社 清少納言神社 中門 祖霊社
当社歴代の神職と信徒総代であった方や功績のあった方々を祀る神社
裏参道
石鳥居の脇に境内社 清めの社 境内社 神明神社(天照大神)
境内社 天満天神社(天満大神)
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
京福電鉄嵐山本線(嵐電)「車折神社駅」下車すぐ南側
JR西日本嵯峨野線(山陰本線)「嵯峨嵐山駅」下車 徒歩約10分
阪急電鉄嵐山線「嵐山駅」下車 徒歩約15分
京都市バス・京都バス「車折神社前」下車 徒歩約3分
ホームページ 神社公式サイト
参 考
『神社公式サイト』、ウィキペディア-
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