飯道神社
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概 要
社 号 飯道神社
読 み はんどうじんじゃ
別 名 江戸時代は「飯道大明神社」
所在地 滋賀県湖南市針1009
御祭神 素盞嗚尊
御神紋 左三ツ巴
例祭日 5月1日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
甲賀郡 8座 大2座 小6座
近代社格制度 旧村社
創建 大同2年(807年)
本殿様式 一間社流造檜皮葺
拝殿様式 入母屋造 間口三間 奥行三間
境内摂末社(祭神)
天神社・愛宕神社・二ノ宮日吉神社
文化財
一口メモ
湖南市の狭い旧道の飯道神社の社号標。坂を登ればそれらしい神社の表示がないので行き過ぎて、どうやら広場の奥らしいので、一か八か公園の進入路を登る。芝生の中にまっすぐ道があり進むと、左手に神社の鳥居が見えた。飯道神社と社号標があった。以前、湖南市の石部鹿塩上神社論社吉姫神社、吉御子神社をたずねた。日没で吉御子神社はわかったが吉姫神社ともに当社は参拝できなかったので、今回は鏡神社とともにリベンジだった。
飯道神社は、以前甲賀市信楽町山上に鎭座する飯道神社に登った。ゴルフ場のそばにある鳥居から、車で少し近くまで行けるが、険しい参道でやっとの思いだった。社殿改修工事で本殿はシートだったが、大工さんの軽四が手前にあったので、許可がいるのか知らないが、国道307号線から道はあるのでそこから登られたようだ。当社はその飯道山の北麓に位置する。飯道神社の里宮的な存在とされている。飯道神社は元は飯道山頂にあったのであり、奈良時代に信楽町宮町側へ遷された。その北麓側の村人による勧請が当社であろう。したがって飯道神社の論社に挙げられているが、そもそもの社地が分かってるので、論社とは延喜式が定めた式内社の場所なのであって、本来の祭祀が行われていた場所という点で、違う意味合いのものだ。京都愛宕神社もそうだが、甲賀市信楽町の飯道神社も、また熊野古道や伊勢参り、古来の祭祀の原点を残す意味では人びとが何日も歩いて苦労しながら参拝した思いを知るには貴重だし、車で境内まで横着に参拝している自分を恥じながら、改めて甲賀市信楽町山上の飯道神社は、1200社廻ったなかでも愛宕神社と並ぶ思い出だ。
歴史・由緒等
飯道神社(旧村社)の祭神は、素盞鳴尊、菅原道真で、大同2年(807)の草創にして延喜式内近江国甲賀郡八座の一つで大字針、飯道の森(現在の甲西町役場の敷地一帯)が当時の鎮座地であった。明治6年(1873)に家棟川の改修工事が行なわれ、現在の地に遷座し、同10年に造営落成の式が行なわれ現在に至っている。
「社頭掲示板」
大同2年の創祀と伝え、延喜式内飯道神社の里宮と考える説がある。
「滋賀県神社庁」
境内・社叢
鳥居 社号標
手水舎 拝殿
中門・本殿
境内社
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