草津市 旧村社 滋賀(近江国)

三大神社(式内 意布伎神社)

概 要

社 号 三大神社
読 み さんだいじんじゃ
式内社 近江国栗太郡 意布伎神社(論社)

所在地 滋賀県草津市志那町309
御祭神 志那津彦命しなつひこのみこと 志那津姫命しなつひめのみこと  (配祀) 大宅主命
御神紋 竹に二羽の雀
例祭日 5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座 大2座 小6座

近代社格制度 旧村社
創建     年代不詳
本殿様式   三間社流造

境内摂末社(祭神)

若宮神社 蛭子神社

文化財

石燈龍 一基(正応4年刻) 国指定重要文化財
般若経唐櫃 三箱 (応永4年銘書) 市指定重要文化財
螺鈿の鞍 一台(鎌倉時代)
三大神社の藤 県指定自然記念物

一口メモ

琵琶湖の南東に広がる草津市の平野部、条理制による碁盤の目のような田園地帯に草津市志那町の各集落に式内意布伎神社の論社が3社ある。郷社惣社神社があり、同じ志那郷内の村々の神社だったようだ。

式内 意布伎神社 論社

大宝神社境内社 追来神社 素盞嗚尊 栗東市綣7-5-5
三大神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町309
志那神社(意布伎神社) 志那津彦命 志那津姫命 草津市志那町727
郷社惣社神社(意布伎) 草津市志那中町238

歴史・由緒等

天智4年(665)中臣金連が志那津彦、志那津姫の二柱を祭祀、これ延喜式内栗太八座の一つ意布岐神社である。
その後応徳元年大宅主命を吉田穴太包光が合祀。叡山山門の守護神である三台権現に擬して三大権現と称した。中世までは御公儀により修繕されていたが承応2年芦浦観音寺瞬貞法人によって再建せられたと伝えられる。永徳2年の縁起書には春例祭に馬上数十騎、歩行数百人の渡行が誌され志那三郷の大宮であった。現在の大鳥居に志那三郷中と刻書のあるのはその証であろう、また境内には紫藤一樹あって五百有余年の歴史があると言い伝えられている。
『神社石碑』

条里集落の遺構地吉田の里の中心、二十六坪小字伊吹の里に鎮座する。条理性に関係深い天智天皇の勅を受け大中臣金連が天智四年風神の二柱を祀った式内伊富伎神社がこれである。
その後応徳年間に穴太包光が大宅公主を合祀したと伝えられ、祭神が三神となったため邑人等三体神権現と称するようになり、伊富伎神社の称が消埋した。後に三大権現と称して支那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初年に三大神社と改称し各郷で例祭を行うようになった。
社殿については中世破損したため吉田大欲助穴太包元等是を修繕した、また江戸初期承応年間に芦浦観音寺舜貞法人によって再建され、以来三百有余年社殿老朽に耐えず依って明治九年浄財を集めて再建した。昭和五十五年屋根を銅板に葺替える。
尚詳しい由緒については永徳二年権律師法橋上人位実春に誌るされている。但し式内意布伎神社については確証がなく所在不詳とされている。
境内の藤棚は開花期遠近の観客で賑う。
明治九年村社に加列。明治四十一年神饌幣帛料供進指定。

境内・社叢


鳥居

  
社号標                        手水舎


由緒案内石碑

  
拝殿                         本殿中門

  
狛犬

  
右手玉垣内境内社 若宮神社 蛭子神社         本殿

  
本殿                        境内社 稲荷神社

  
「砂ずりの藤」と呼ばれる藤の大樹で有名な三大神社の藤棚 県指定自然記念物

毎年4月下旬から5月上旬にかけて藤の開花時期ともなると多くの参拝者で賑わう。

地名・地誌

地 図

滋賀県草津市志那町309

交通アクセス・周辺情報

参 考

コメントを残す