元伊勢内宮 皇大神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

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概 要

社号 皇大神社
別名  元伊勢皇大神宮・元伊勢内宮
読み: こうたいじんじゃ
所在地 京都府福知山市大江町内宮字宮山217
旧地名 丹後国加佐郡

主祭神 天照大神
例祭日 4月26日

社格等

式外社
近代社格制度 旧府社
創建 (伝)崇神天皇39年(紀元前59年)
本殿様式 神明造茅葺

境内摂社(祭神)

摂社(脇宮)
栲機千々姫社 – 本殿左。祭神:栲幡千々姫命
天手力雄命社 – 本殿右。祭神:天手力雄命
末社 計83社
奥宮 天岩戸神社
主祭神 櫛御毛奴命
京都府福知山市大江町佛性寺字日浦ケ嶽206-1

中心に本殿があり、本殿を囲む形でコの字形に末社83社が鎮座している。本殿 – 桁行3間梁間2間の神明造茅葺。内削ぎの千木を持ち、棟に鰹木を置く。

一口メモ

子供が小さいころ、家族で参拝して以来、約30年近く経て再び一人で訪れてみたが、日曜日なのに土産物店も閉まっており、往時の賑わいはなく私一人だ。奥の天の岩戸神社のあとなので、足が疲れ石段を登らず車で登れる道はないか探したところ、天の岩戸神社前から道がある。チェーンで通行禁止になっていたので、そこから徒歩で登る。長い道のりだったが傾斜はゆるく広い道。
丹後の元伊勢として、宮津市 丹後国一宮 元伊勢籠神社、また京丹後市峰山町 比沼真名為神社があり、どちらも真名井といわれており元伊勢という。しかし、地元で元伊勢さんといえば当社が有名だ。なぜ式内社ではないのだろうか。

歴史・由緒等

第10代崇神天皇の39年に大和地方からここに天照大神の神鏡をまつったといわれ、以後全国を転々とした後、54年後に三重県の伊勢神宮に正式に鎮座されたことから元伊勢宮といわれる神社。杉の古木が立ち並ぶ山道を抜けると、壮大な構えの元伊勢内宮皇大神社がある。本殿の両側には、脇宮2社が祀られ、それらを囲むように83社の小宮が並んでいる。黒木の鳥居は全国でここと京都嵯峨野の野々宮神社以外には例がない。周辺には五十鈴川、宮川、真名井ノ池、宇治橋、猿田彦神社など伊勢神宮にまつわる名称が数多くある。[京都府観光ガイド]

『倭姫命世記』に、崇神天皇39年、天照太神を奉じた豊鋤入姫命が鎮座地を求めて但波(丹波)国へ遷幸し、吉佐宮を築いて4年間奉斎したと記すが、社伝によれば、当神社はその旧跡であり、天照大神が吉佐宮から遷座した後もその神徳を慕った人々が引き続き伊勢神宮内宮の元の宮として崇敬してきたといい、元明天皇朝(707~15年)に社殿を建立したという。また、それとは別に、用明天皇の皇子麻呂子親王が当地の兇賊を成敗するに際して勧請したものであるとの異伝もある
(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』所引『天橋記』)。

近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には4石3斗4合の社領を有し(天和元年(1681年)の『宮津領村高帳』)、明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国が社殿を造営し(社蔵棟札)、元禄14年(1701年)に同奥平昌成も修造してから歴代宮津藩主もこれに倣ったといい、また60年に1度の式年遷宮も行われていた。

昭和5年(1930年)府社に列し、戦後は神社本庁に参加している。

境内・社叢


社号標

  
手水舎                  神明鳥居


社頭掲示板

  
拝殿・本殿                境内 摂社(脇宮)栲機千々姫社 (本殿左) 天手力雄命社(本殿右)

  
拝殿                   本殿

境内社

  
本殿を囲む形でコの字形に末社83社が鎮座している。

  


さざれ石

地名・地誌

地 図

京都府福知山市大江町内宮217

交通アクセス・周辺情報

参 考

「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、他

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