美方郡新温泉町(二方郡) 旧温泉町(二方郡) 無格社 兵庫(但馬国)

八十矛神社

概 要

社 号 八十矛神社
読 み やちほこじんじゃ
葦田神社 『国司文書・但馬故事記』
所在地 美方郡新温泉町細田

旧地名 二方郡温泉郷細田村
御祭神 不明だが、鳥居扁額に「八十矛神社・須賀神社」とあるので、八十矛神は大国主命の別称であることから大国主命。
須賀神社は宮脇の式内須賀神社から勧請し合祀したものだろうか。
天目一箇命アメノマヒトツノミコト 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日

社格等

近代社格制度 無格社
創建   年代不詳 (大化3年(647) 『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

なし

一口メモ

国道9号線細田交差点の少し北にある夢が丘中学校の横の坂を登ると、テニスコートの前に道を挟んで小さな社が鎮座。二方国に最初に設けられた軍団は、面沼神社のある竹田交差点の周囲であることは、地の利から間違いないだろう。

歴史・由緒等

兵庫県神社庁にも未登録で資料がないが、『国司文書・但馬故事記』に、

人皇37代孝徳天皇2年5月 二方国造真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑および弓矢を閑広の処に収め、兵庫を作り、軍団を設けしめ給う。

(中略)

当国の大毅ダイキ(隊長)、竹田連面沼タケダノムラジメノは、葦田首道雄を召して、刀剣鉾族を鍛えしめ、
楯縫連美佐雄タテヌイノムラジミサオを召して、楯を縫わらしめ、
矢作連媒鷹ヤハギノムラジヲタカを召して、弓矢を作らしむ。
その物すでに成り、これを兵庫ヤクラに収む。これにおいて兵主神を祀り、軍団の守護神と為す。これを射所イドコロ兵主神社と云う。(井土の二柱神社と思われる)
またその祖、武田折タケダオリ命を兵頭ヒョウズ丘に祀り、面沼神社と称えまつる。(式内面沼神社 美方郡新温泉町竹田1)
小穀大家首高志はその祖天道根命の孫、彦真倭命を大庭丘に祀り、大家神社と申しまつる。(式内大家神社 美方郡新温泉町二日市558-1)
校尉須賀美津男はその祖須賀狭津男命を波多丘に祀り、須賀神社と申しまつる。時は大化3年(647)秋7月なり。(式内須賀神社 美方郡新温泉町宮脇193)

これに倣い、葦田首道雄はその祖天目一箇命を細田丘に祀り、葦田神社と称えまつる。
楯縫連美佐雄はその祖彦狭知命を楯谷丘に祀り、楯縫神社と称えまつる。
矢作連媒鷹はその祖経津主命を矢作丘に祀り矢作神社と申しまつる。

『国司文書・但馬故事記』

楯縫神社・矢作神社はまったく不明だが、「細田丘に祀る」とあり、細田には当社しかないので当社が葦田神社ではないかと思われる。温泉町の小字名が記された地源図があれば参考になる字が残っているかもしれない。天目一箇命は、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神。岸田川に合流する支流春木川は、湯村温泉の余った分は川へも流れ、冬には川から湯けむりが立つこともある。細田あたりは葦が繁茂していたであろう。古代より製鉄の原料として、温泉地帯の湿地帯に生える植物(葦や茅,コモ等*1)の根に,ある種の鉄鉱石(褐鉄鉱)が付着した塊ができ「すず」といった。『国司文書・但馬故事記』には、各軍団と兵主神社、葦田・楯縫・矢作の各村と神社が記されている。豊岡市日高町にも気多軍団として式内久斗寸兵主神社、式内葦田神社があり、豊岡市鶴岡に式内楯縫神社がある。矢作神社は現存しない。

*1 薦とは草、細かい草、茂った草のこと

境内・社叢

  
鳥居 扁額に「八千矛神社・須賀神社」        参道


社殿

地名・地誌

細田(ほそだ)

葦田(あしだ) 『国司文書・但馬故事記』

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

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