国弊小社 別表神社 松江市(秋鹿郡・出雲郡) 官社(式内社) 島根(出雲国)

出雲国二宮 式内 佐太神社

概 要

社号 出雲国二宮 佐太神社
読み: 古 サタ、現 さた、さだ
延喜式神名帳
式内社 出雲国秋鹿郡 佐陁神社
合祀 式内社 出雲国秋鹿郡 宇多紀神社
所在地 島根県松江市鹿島町佐陀宮内72
旧地名 出雲国秋鹿郡神戸里
御祭神 正殿、北殿、南殿に、秘説四柱を含めて12柱が祭られている。

正殿(中殿) 佐太大神(さだのおおかみ)、伊弉諾尊(いざなぎ のみこと)、伊弉冉尊(いざなみ -)、事解男命(ことさかのお -)、速玉之男命(はやたまのお -) の五柱
北殿 天照大神、瓊々杵尊
南殿 素盞鳴尊、秘説四座
合祀 式内社 宇多紀神社 下照姫命

例祭日
管粥神事、直会祭、神在祭裏祭、御田植祭、御座替神事、例祭、神在祭

数ある神事の中でも9月24,25日の御座替祭・佐陀神能、11月20日から25日の神在祭(お忌さん)は有名。

神紋    正殿は扇の地紙、 北殿は輪違、 南殿は二重亀甲

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
秋鹿郡[アイカ]:10座並小

『出雲国風土記』「佐太御子社」

中世社格制度 出雲国二ノ宮
近代社格制度 国幣小社
近代社格制度以後 別表神社

出雲国神仏霊場四番(20社寺)

創建     養老元年(717年)
本殿様式  三殿並立の大社造り

境内摂末社(祭神)

境内摂社
田中神社 御本社北殿摂社
出雲国秋鹿郡 御井神社 未詳
出雲国秋鹿郡 垂水神社 罔象女神 『出雲国風土記』「垂水社」

境内 式内社 日田神社 稲田姫命 『出雲国風土記』「比多社」
御井神社 未詳
垂水神社 罔象女神

北四社末社 本殿北側 山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社
南四社末社 本殿南側 戸立社、振鉾社、垂水社、天神社

文化財

彩絵檜扇、龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱、色々威五十八間筋兜、色々威胴丸、色々威腹巻 (以上重要文化財)
蛭巻薙刀、野太刀、舞楽面、鰐口、線刻十一面千手観音鏡像、着 彩阿弥陀来迎図鏡像、御供台(以上県文化財)

一口メモ

松江駅から左折して県道22号線に入る。まっすぐ300mで県道253号線へ進む。宍道湖大橋南詰(交差点)を右折して 県道37号線に入る。橋を渡り斜め左に折れてそのまま宍道湖沿いに県道37号線を進む。
または、朝日町(交差点)を右折して県道21号線に入る。 鍛冶橋(交差点)を左折して国道431号線に入る。幸橋(交差点) を右折して 県道37号線 に入る。 左折して県道227号線に入る。交融橋(交差点) を右折して 県道37号線 に向かう。約4kmで左折して県道264号線に入る。帰りはこちらから帰った。道は最初のルートよりいいが混む。

歴史・由緒等

正殿の主祭神である佐太御子大神は『出雲国風土記』に登場する佐太大神と考えられる。佐太大神は神魂命の子の枳佐加比売命を母とし、加賀の潜戸で生まれた。神名の「サダ」の意味には「狭田、すなわち狭く細長い水田」という説と「岬」という説とがある。
明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、平田篤胤の『古史伝』の説に従って祭神を猿田彦命と明示するように指示されたが、神社側はそれを拒んだ。
現在において神社側は、佐太御子大神は猿田彦大神と同一神としている。(ウィキペディア)

(神社公式)

当社は出雲国風土記に「カンナビヤマの麓に座す」佐太大神社(さだおおかみのやしろ)或いは佐太御子社(さだみこのやしろ)と見え、延喜式(えんぎしき)には出雲国二ノ宮と称され、出雲国三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた御社です。

中世には伊弉冉尊(いざなみのみこと)の陵墓である比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った社と伝え旧暦十月は母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々が当社にお集まりになり、この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから当社を「神在の社」(かみありのやしろ)とも云い広く信仰を集めています。盛時には神領7千貫・神職224人を有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云いますが、太閤検地で領地を減じられ神職75人となったと云われています。

江戸時代を通じて出雲国10郡のうち佐陀触下(さだふれした)と呼ぶ秋鹿(あいか)・島根(しまね)・楯縫(たてぬい)・意宇(おう)西半の3郡半の神社を支配下に置き、歴代藩主の信仰も厚く、出雲国内でも重要な地位を占めてきました。

また、旧暦8月24日・25日の御座替祭(ござがえさい)にはこの佐陀触下の神職・巫女が参集奉仕する慣わしで、この祭で舞われる神事舞が出雲国内をはじめ他の里神楽に大きな影響を与えたとされ「出雲神楽の源流」とも云われています。
明治3年、神社制度の改革が行われこの触下制度は廃止となります。51社あった末社もそれぞれが村々の氏神として独立し20ばかりとなり、神領、神職とも大幅に減じ著しく衰退しました。しかし、佐陀宮内の氏子はじめ神領6ヶ村の旧氏子、その他多くの崇敬者による復興運動により、昭和3年国幣小社に列せられました。

戦後は佐陀宮内地区の氏神社となっていますがその由緒・歴史から近郷諸所の惣氏神としてはもとより全国各地から広く信仰を集めています。
様々な歴史的困難にもかかわらず、本殿三社をはじめ、国・県の指定文化財も多数有し、古伝の祭祀を守り受け伝えている点において神道学、民俗学等の面からも注目を置かれているところであります。

境内・社叢

  
鳥居                   社号標



社叢                   神橋

   
橋のそばにある狛犬

  
手水舎                  御神門

  
拝殿                    正中殿の神紋の「扇」は、龍蛇神の尻尾の斑点を表している

  
右拝殿                  三社本殿

  
北境内社                 南境内社

  
母儀人基社(伊弉冉尊)の参道 六角形石柱

御祭神が記されている。丹後ではどこにでもあるが、今回松江ではこの神社だけだった。

地名・地誌

地 図

島根県松江市鹿島町佐陀宮内72

アクセス・周辺情報

参 考

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