出雲大社境外摂社 式内 阿須伎神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 阿須伎神社
延喜式神名帳 式内社 出雲国出雲郡 阿須伎神社
出雲大社境外摂社* 阿須伎神社(阿式社、あじきのやしろ)
読み:古 アスキ、現 あすき

合祀 式内社
出雲国出雲郡 同社神韓国伊大弖(カラクニイタテ)神社 五十猛命
出雲国出雲郡 同社天若日子(アメワカヒコ)神社 天稚彦命
出雲国出雲郡 同社湏佐袁(スサノヲ)神社 素盞嗚命
出雲国出雲郡 同社神魂意保刀自(カミムスビヲホトジ)神社 大刀自神
出雲国出雲郡 同社神阿湏伎(カンアスキ)神社 祭神不詳
出雲国出雲郡 同社神伊佐那伎(カンイサナキ)神社 伊邪那岐命
出雲国出雲郡 同社神阿麻能比奈等理(アマノヒナトリ)神社 天夷鳥命
出雲国出雲郡 同社神伊佐我(イサカ)神社 伊佐我命
出雲国出雲郡 同社阿遲湏伎(アチスキ)神社 阿遲須伎高日子根命
出雲国出雲郡 同社天若日子(アメワカヒコ)神社 天若日子命

*「荒垣」とは本殿鎮座地の四囲にめぐらした石垣と塀で、大社ではこの内側をいわゆる「境内」とし、いわゆる他神社では境内社・所在地が別にあるものは境外社とする場所も含めて荒垣外としている。
所在地 島根県出雲市大社町遙堪(ようかん)1473
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神
阿遲須伎高日子根命(あじすき たかひこね のみこと)
配祀
五十猛命 天稚彦命 素盞嗚命 下照姫命 猿田彦命
伊邪那岐命 天夷鳥命 稻背脛命 事代主命 天穗日命
例祭日 10月10日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
楯縫郡(タテヌヒ):9座(並小)(タテヌヒ):9座(並小)

『出雲国風土記』「阿受伎社」

近代社格制度 旧郷社

創建     年代不詳だが、天平5年(733)『出雲国風土記』に「阿受伎社」と記載があるのでそれ以前。
本殿様式   大社造 檜皮葺

境内摂末社(祭神)

金刀比羅社、木山社、木野山社、さいの神、社日、水神社、荒神社、稲荷社

一口メモ

出雲大社に向かう国道431号線で最も出雲大社に近い式内社。式内社阿須利神社と合祀されている同社式内社が10社、計11社と類を見ない数でとくに興味深かった。
延長5年(927年)に作成された「延喜式神名帳」の出雲国式内社には、「同社◯◯神社」と記された式内社が多い。延喜式神名帳が作成される以前は別の所在地にあったが、すでに同一神社内に合祀、または摂社、末社として遷座されていたので同社◯◯神社としたのだろう。

歴史・由緒等

由緒
当社は延喜式(927)に11社、更に古い天平5年(733)の出雲国風土記には39社をかぞえるなどこの近在では、いちばん多くその名が見える由緒ある神社ですが、現在は当社を遺すのみで他の同名の社はすべて当社に合祀されたと伝えられています。
主祭神阿遅須伎高日古根命は大国主命の御長男神に坐して御父神と共に「切れ味のよい鋤」をおとりになって、国土創生におおいなる御神威を発動なされました。その御事蹟により、御名とともに御神徳が高くたたえられています。
社殿は昭和62年の遷宮時に鉄板葺に改められたが、大社造の古格をそのまま今日に伝え、その宏大な規模とともに貴重な文化財でもあります。

「社頭掲示板」

境内・社叢

    
鳥居         社号標       『出雲国風土記』標柱


社頭掲示板

  
手水舎                     拝殿

  
拝殿                      拝殿扁額

  
本殿                      境内社

  
境内社                     天照大神

  
稲生神社(倉稲魂神)              総荒神

地名・地誌

遙堪(ようかん)

出雲大社周辺の難解な地名にこの遙堪・修理免(しゅうりめん)がある。地名地誌として面白い地名。一畑電車サイトによると、

このあたりはかつて斐伊川が注ぐ「菱根池」という大池があったということで、この池を「”遥”かに水に”湛”える」と呼び、これが変化て「遙堪」となったといわれるようです。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他


2件のコメント

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