名神大社 高市郡明日香村 奈良(大和国)

名神大 飛鳥坐神社

 

概 要

社 号 飛鳥坐神社

式内社 大和国高市郡 飛鳥坐神社四座 並名神大 (月次相嘗新嘗)
読み:古 アスカノ、現 あすかにます

境内摂社 式内社 大和国高市郡 飛鳥山口坐神社 大 月次新嘗
祭神 大山津見乃神 久久乃知之神 猿田比古神

所在地 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥字神奈備708
旧地名 大和国高市郡
御祭神
事代主神(ことしろぬしのかみ)
飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)(あすかのかんなびみひめのかみ)
大物主神 (おおものぬしのかみ)
高皇産靈神 (たかみむすびのかみ)

多くの異説がある。
『大神分身類社鈔』 — 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命
『五郡神社記』 — 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神
『社家縁起』 — 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命
『出雲国造神賀詞』 — 「賀夜奈流美乃御魂乃飛鳥乃神奈備爾坐天(賀夜奈流美の御魂の飛鳥の神奈備に坐て)」

祭礼 例祭 お田植神事「お田植祭(おんだまつり)」 2月第1日曜日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

高市郡(タケチ):54座(大33座・小21座)

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   四間社流造

境内摂末社(祭神)

祓戸社 祭神:瀬織津比咩神・速開津比咩神
八坂神社・金毘羅神社
白鬚神社 祭神:一説に猿田彦神
奥の社(元伊勢) 祭神:天照大神・豊受大神
式内社 大和国高市郡 飛鳥山口坐神社 祭神:大山津見命・久久乃之知命・猿田彦命

史跡 酒船石  神社ではないが、祭祀の場ではないかと思われ、式内社・飛鳥坐神社の酒殿跡とする説がある。

一口メモ

学生だった頃、石舞台古墳・酒船石などを見学したが、当時はもちろん神社に造詣がなかったので、30年ぶりに改めて飛鳥宮が置かれた明日香に感心が湧いている。まずは名の通り式内社高市郡で名神大・月次相嘗新嘗を受けた飛鳥坐神社をめざす。

歴史・由緒等

創建の詳細・場所に関しては不明なるも、『旧事本記』に
「大己貴神(中略)次娶坐辺津宮高津姫命、生一男一女、児都味歯
八重事代主神、坐倭国高市郡高市社、亦云甘奈備飛鳥社」
(大己貴神(大物主神)が高津宮命を娶り一男一女を儲け、その子
事代主神を飛鳥社の神奈備に坐せて)とあり、また「出雲国造神賀詞」
(奈良・平安期の出雲国造がその代替わりごとに朝廷に参向して奏上したもの)には、
「賀夜奈流美命能御魂乎、飛鳥乃神奈備爾坐天」
(賀夜奈流美命(飛鳥神奈備三日女神)の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて)とある。

すなわち大国主神が国土を天孫にお譲りになる際、わが子である
事代主神を始めとする神々を天孫の守護神としてその神霊を祭らせた。
その際に皇室守護の神として、事代主神とその妹神とされる賀夜奈流美命
(飛鳥神奈備三日女神)の神霊を奉斎されたのが当社の起源とされる。

文献による当社の初見は、朱鳥元(686)年7月の『日本書紀』で
「奉幣 於居紀伊国国懸社 飛鳥四社 住吉大社」とある。
これは天武天皇の病気平癒の祈願のため、国懸神社と住吉大社とともに
幣帛が奉られたものである。平安期の書物『日本紀略』には
天長6(829)年3月に「賀美郷甘奈備山飛鳥社同郡同郷鳥形山遷依神託也」
とありこの時に現在地に遷座した。
また当社が近世に元伊勢と称していたのは、現在地に遷座する
以前に同地が天照大神を一時お祀りしていたとの伝承に由来するが、
この場所に関しては諸説あって判然としない。

室町初期の正平3(1348)年8月、後村上天皇より金五十枚を賜り、
中ノ社を再建したが、その後は足利氏にかなりの領地を没収され、
明応期(1492-1501)には嗣子が幼年のため越知氏に併呑されて
現在の社地となった。

江戸初期の寛永17(1640)年10月に初代高取藩主となった植村家政は、
高取城の鬼門にあたる当社を深く信仰された。元禄11(1698)年には
社殿を改築し大規模な遷座祭を行ったが、享保10(1725)年に
里からの火災により、この時の社殿の大半を焼失し、安永10(1781)年に
高取藩8代藩主・植村家利によって再建された。
近代に入り、明治21(1888)年保存資金として内務省より金百円、
宮内省より金五十円が下賜されている。

植村家利による再建から200年以上経過し本殿・拝殿が老朽化
してきたことから、平成13(2001)年4月吉野の丹生川上神社上社が
大滝ダムの建設に伴い遷座するに際し、同上社を当地に移築し再建した。
なお当社には氏子がなく、崇神天皇に初代太宗直比古命が「飛鳥直(あすかあたい)」姓を賜って以来、飛鳥家が87代に亘りお護りしている。

折口信夫(おりくち しのぶ)

折口信夫の祖父酒造ノ介は、岡寺前の岡本善右衛門の8男であったが、当社81代宮司飛鳥助信の養子となった上で折口家に入った。父・秀太郎の代には交流は途絶えていたが、明治33年(1900年)夏に初めて当社に参詣し、同37年には祖母つた・叔母えいと共に参詣し旧交を復した。折口は、祖父が大和飛鳥の由緒ある神社の出自であったことを終生誇りにしており、慶應義塾の教授時代にもよく学生を連れて飛鳥を旅している。

境内に歌碑がある。
「ほすすきに 夕雲ひくき 明日香のや
わがふるさとは 灯をともしけり 迢空」

境内・社叢

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社叢                   鳥居・飛鳥井(右) 古来より湧き出る井戸水

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手水舎                  社号標


社頭掲示板

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境内社                  おんだ祭が斎行される神楽殿・右は西良殿

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拝殿                   拝殿扁額

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本殿

本殿・拝殿は平成13年に再建(吉野の丹生川上神社上社を移築)

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境内のあちこちに立ち並ぶ陰陽石。全て自然石。(アングルがずれていた)

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境内奥                   八十萬神社(やそよろずのかみのやしろ)

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境内社白鬚神社(祭神:一説に猿田彦神)   境内社  八幡神社

他境内社

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境内社

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右 八坂神社、左 金毘羅神社       中央には陰陽石

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式内 飛鳥山口神社
「延喜式神社の調査」さんによると、
大和における六社の山口坐神社の一座であり、飛鳥盆地東方の丘陵を飛鳥丘と呼ばれたらしいから、その山口にあつて、水を主る神であったらしい。
加美郷飛鳥山裂谷にあるとするが、裂谷の地は詳らかではない。
朝廷の用材を切り出す飛鳥山の山麓に祀られていたはずであり、酒船石が元の社の場所として有力である。
いま飛鳥坐神社の境内社にある当社は元禄以後に祭祀したものであるらしい。

奥の社 元伊勢とされ天照大神・豊受大神をお祀りしている。

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境内社

地名・地誌

明日香・飛鳥(あすか)

古(いにしえ)の日本を感じさせる明日香村は、神秘的で一度は訪れてみたい場所だ。飛鳥川のまわりを丘や山に囲まれた小さな盆地に位置する。中央集権律令国家の誕生の地である事から飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている事で知られ、「日本の心の故郷」とも紹介される。推古天皇が崇峻5年(592年)の豊浦宮(とゆらのみや)での即位から持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約100年間を日本の歴史の時代区分として飛鳥時代と称している。
「あすか」の語源については外来語由来説、地形名称由来説などがあるがはっきりとしたことはわかっていない。
万葉集』に「飛ぶ鳥の」歌がいくつかみえる。
飛鳥(とぶとり)の 明日香の里を置きて去(い)なば君が辺は見えずかもあらむ(1-78)
飛鳥の 明日香の河の上ッ瀬に生(お)ふる玉藻は下ッ瀬に流れ触らふ玉藻なす(略)(2-194)
飛鳥の 明日香の川の上ッ瀬に石橋渡し下ッ瀬に打橋渡す石橋に生ひ靡(なび)ける(略)(2-194)
「飛鳥」を「飛ぶ鳥」とよませ、「明日香」の枕詞となっていることがわかる。ただし、飛鳥の地が近隣の他の地とくらべて格段に鳥類が多く飛んでいたという事実はない。

日本で唯一全域が古都保存法対象地域の自治体。

地 図

奈良県高市郡明日香村大字飛鳥708

交通アクセス・周辺情報

飛鳥寺
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山田寺跡

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ホームページ

『神社公式サイト』http://www2.ocn.ne.jp/~jinja/

参 考

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