名神大社 川西町・三宅町・田原本町(磯城郡) 奈良(大和国)

多神社(名神大 多坐弥志理都比古神社二座)

概 要

社 号 多神社

式内社 大和国十市郡 多坐弥志理都比古神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗

読み:古 ヲホノミシ- ヲホノカミ-、現 おおにますやしりつひこ
通称:多神社(おおじんじゃ)と呼ばれる。
多社、多坐神社、太社、意富社とも書かれる。
所在地 奈良県磯城郡田原本町大字多字宮ノ内570
旧地名 大和国十市郡多
御祭神 第一社 神倭磐余彦尊(神武天皇:神八井耳命の父)
第二社 神八井耳命(弥志理都比古(みしりつひこ)とされる)(多氏の祖神)
第三社 神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)
第四社 姫御神(玉依姫命:神八井耳命の祖母)
太安万侶(おおのやすまろ)(『古事記』を編纂)
祭礼 4月第3日曜日 春季例大祭「大連座(おおれんぞ)」

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
大和国:286座
286座 大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)
十市郡(トヲチ) 19座(大11座・小8座)
式内社(名神大)

全国相嘗社十五社の一つ
近代社格制度 旧県社

創建      紀元前580年(綏靖天皇2年)
本殿様式    春日造(四棟)

境内摂末社(祭神)

境内社
能野神社・住吉神社・春日神社・石上神社・竈神社・八幡神社

境外摂社
小杜神社(祭神 太朝臣安萬呂) 式内小社・小社神命神社
皇子神命神社(祭神 皇子神命)式内小社・皇子神命神社(論社)
姫皇子命神社(祭神 姫皇子命)式内小社・姫皇子命神社(論社)
屋就神命神社(祭神 屋就神) 式内小社・屋就神命神社
※どれも式内社である。『五郡神社記』では本社二座と下記の四皇子神をもって「意富六所神社」と称している。

文化財

本殿 県指定文化財

一口メモ

多神社(おおじんじゃ)は歴史で習った『古事記』を編纂した太安万侶の出身地の多(太)氏の氏神である。飛鳥川の東、県道50号線の南側に位置する。正面が県道50号線のひとつ南側の細い道に面しているが、見落として川沿いの参道から入った。そのあと、正面へ移動して再び参拝。

歴史・由緒等

奈良盆地のほぼ中央に鎮座し、広大な社域を誇った大和屈指の大社。御祭神は四座祀られているが、延喜式神名帳には、「式内社 大和国十市郡 多坐弥志理都比古神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」二座とある。社伝によれば当初祭神は神八井耳命(かむやいみみのみこと)、初代・神武天皇こと神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)他二座。
奈良県「歩く・なら」によると、
命は神武天皇の第二皇子で、後に綏靖天皇となる弟とともに第一皇子による暗殺に立ち向かった。その後、弟に皇位を譲って自らは祭祀者になったと『古事記』『日本書紀』にある。皇室に縁深い多氏はこの命の末だ。
三輪山—多神社—二上山はほぼ東西一直線で、当神社は春・秋分の山頂からの日の出を拝する特別な位置にある。この地に弥生集落が開けたのも偶然ではないかもしれない。境内には、発掘品の一部や太安万侶関連資料を展示する資料館もある。

多坐弥志理都比古神社
(多神社)
祭神 神武天皇・神八井耳命・神沼河耳命・姫御神・太安万侶
由緒 社伝によると、神武天皇の皇子神八井耳命がこの里に来られ、…我、天神地祇を祀る…という由緒をもつ。平安時代の『延喜式』にも名がみえる大和でも屈指の大社である。神八井耳命を始祖とする多氏によって祀られ、中世には国民である十市氏によって支えられた。また、本神社の南には、古事記の撰録にあたった太安万侶を祀る小杜神社や皇子神命神社、姫皇子命神社、子部神社、屋就命神社の若宮がある。
本殿は、東西に一間社の春日造が並ぶ四殿配祀の形式をとる。江戸時代中頃の建築様式をよく残すもので、奈良県の指定文化財になっている。
なお、本地は弥生時代の集落遺跡として著名である。

多神社遺跡

この神社を中心に南北約500m東西約100mにわたつて以前から土器片及石器等が出土していたが昭和47年に神社の西を流れる飛鳥川の改修工事にり多くの遺物が出土して弥生式時代初期(約2200年前)からここに人びとが生活をしていた村の跡と思われ、米を作つていた事を裏付ける農具や籾の痕跡の付いた土器が出土しました。これらの土器の中にば尾張や河内の土器も見られこれらの地方との交流が考えられます。」そして紡錘車の出土から糸つむざが行なわれていた事がわかります。その他この時代の石器・木製品、土製品、自然遺物(動物の骨、木の実)等が出土しました。この村は古墳蒔代(約1400年前)まで続いていた事を示す土師器、須恵器が出土しています。又出土の土器から祭祀遺跡の存在も考えられ、多神社社との関係も考えられます。
この様に私達祖先の人々が住んでいた場所がこの神社の周辺です。

「社頭掲示板」

元文2年(1737年)の『多大明神社記』では現在の四座になっているが、明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、主祭神は神八井耳命・神沼河耳命の二座としている。
社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、これは神八井耳命のこととされる。神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったので、「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる。

境内・社叢

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一の鳥居 神社入口から800m東の寺川沿い  東側参道(川沿い)

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社号標             正面参道


社頭掲示板

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鳥居・拝殿                手水舎

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狛犬

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拝殿

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本殿 春日造四棟(県指定文化財)

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境内社

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地名・地誌

多(おお)
現:奈良県磯城郡田原本町多

多氏(おおうじ/し)は、日本最古の皇別氏族屈指の古族とされ、「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、九州と畿内に系譜を伝える。神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされるが、確実なことは不明。

地 図

奈良県磯城郡田原本町多570

交通アクセス・周辺情報

近鉄橿原線笠縫駅で、駅からは南西へ1㎞ぐらい
国道24号線あるいは国道24号線バイパスからどちらからでも東西に通る県道50号線へ飛鳥川沿いを南1筋目。

参 考

「延喜式神社の調査」さん、ウィキペディア

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