式内 倭文神社(京都府舞鶴市)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社 丹後国加佐郡 倭文神社
読み: 古 シトリ、現 しどり
『室尾山観音寺神名帳』 正三位倭文明神
『丹後旧事記』 志島大明神
『丹哥府志』 子鳥大明神
『丹後国風土記残欠』 倭文社

所在地 京都府舞鶴市今田津ノ上
旧地名 丹後国加佐郡田辺郷
御祭神 天羽槌雄命(あめのはづいちのみこと)

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
丹後国(タンゴ):65座(大7座・小58座)
加佐郡(カサ):11座(大1座・小10座)
式内社

近代社格制度

創建 不詳

境内神社

池姫神社・稻荷神社・金比羅神社・秋葉神社
大川神社・澤神社・八幡神社

一口メモ

JR東舞鶴駅の南。府道28号大森神社前交差点西に大きな社叢。長い参道が延びる。通称:大森神社と呼ばれているようだが、大きな社 号標には式内社弥加宜神社とある。大きな社 号標から大鳥居がずっと向こうに見える。市街地化される以前は、この社叢一体を大森と呼んでいたのであろう。
焼失した但馬風土記の復興のために国学者らが編纂した『国司文書・但馬故事記』は、{天火明命|あめのほあかりのみこと}は田庭の真名井原に降り、稲や五穀をつくり、その地を志楽国と云う。・・・からはじまる。今の舞鶴市に志楽という地名が残っているが、ここからそう遠くはない。人皇十代崇神天皇の御代に、天皇、{彦坐命|ひこいますのきみ}と御子の丹波道主命とともに、丹波国青葉山の賊・陸耳の御笠とその群盗を討たせしめ給う。」と今の東舞鶴から記述がはじまる。当神社とつながりがありそうだ。

歴史・由緒等

倭文神社は舞鶴市の南部、池内川を遡った中流域・今田に鎮座する加佐郡式内社の1つ。祭神は天羽槌雄命。
氏子圏は古くは池内谷各村のほか七日市、倉谷、福来、天台、上安久、上安、近郷一六ヵ村に及んでいたと伝えられ、旧語集では一〇ヵ村(今田・万願寺・堀・布教・別所・岸谷・上根・寺田・白滝・池内下)と記す。なお同書に「右之村ヨリ毎年振物笹躍狂言ヲ勤」とある。
しかし現在の氏子は三字の区域と狭くなっている。

藤原期作と伝える男神像二体.室町末期の「蒲生八幡宮」と陰刻されている鰐口を所蔵する。
由緒  創立年代は不詳なれども一条天皇の御宇正暦三年藤原朝臣平井保昌丹後国大江山鬼退治に際して誓願する所があって再建したと伝えられている。旧社領30石は平井保昌の寄進したものであったが、其後漸次減少して元禄16年の頃には社領は全く其影を存せない様になったと云ふことである。《加佐郡誌》

『舞鶴市内神社資料集』所収(神社旧辞録)に、
古来より倭文八社明神と唱え高田神社とともに大内郷の惣鎮守であった。
…境内は、形状察するに前方後円墳を取崩しその後円部に神殿を造営したのではないかと考えられる。

今田の倭文神社はイブンと訓みならわしているが、「志鳥大明神」(丹後旧事記)、「子烏大明神」(丹哥府志)とも表記している。倭文の字訓はシヅリが古く、シツオリの略であり、この神の本貫は鳥取県の同名の神社であるといわれる。与謝郡にも式内社の倭文神社がある。志鳥・子鳥と表記するのはその転訛であって、祭神は天羽槌雄命である。《舞鶴市史》

倭文はふつうはシトリと読む、古くはシズオリ、シズリとかシズにもなるが、この辺りでは江戸期の文献では子鳥とか志鳥とか書いているのでシトリと呼んでいたと思われるが、今はイブン神社と呼んでいるようである。
「志島大明神」(丹後旧事記)、「子鳥大明神」(丹哥府志)とも表記された。

この神社の本貫ともいわれる伯耆一宮の倭文神社(東郷町)はじめ全国には同名の神社や郷は多い。

「旧事本紀」や「古語給遺」に「倭文遠祖、天羽槌雄神ヲシテ文アヤ
布ヲ織ラシム」とあり、「釈日本紀」に「倭ハ青筋ノ文アヤ布ヲ云フ」と記す、とあるそうである。

創立年代は不詳。伝承では正暦3年(992)藤原保昌が大江山の鬼退治に際して誓願するところがあり、その時再建したという。

http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/sitorij.html

明治の近代社格制度に郷社・村社等社格が見当たらないが、「元禄16年の頃には社領は全く其影を存せない様になったと云ふ」とあるので、そのころには衰退していたようだ。

境内

鳥居から北へ奥が広い杜い包まれた境内。

  
社号標                  鳥居


参道                   右手に手水舎


由緒案内板

   
境内

  
拝殿                       拝殿から本殿


本殿

  
本殿右手境内社

   
境内左境内社

  

地名・地誌

今田は舞鶴市の南部。伊佐津川支流・池内川流域に位置する。青谷川と真倉川が合流する。

このあたりでは谷幅も広く耕地も多い。古くから池内谷およびこの地方の中心的役割を果していたと思われる。上殿に円墳があり、金環が出土している。式内社・倭文神社が鎮座し、7年目ごとに行う「ずいきみこし」の神事が伝わる。

室町期 丹後国加佐郡田辺郷八田村
江戸期~明治22年 〃 今田村
同22年 〃 池内村今田

地 図

参 考

「丹後の地名地理・歴史資料集」さん、他


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