式内 向日神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

概 要

現社号 府社 向日神社
読み:むこうじんじゃ

所在地 京都府向日市向日町北山65
旧地名 山城国乙訓郡
御祭神 向日神(むこうのかみ)・・・御歳神
(配祀) 火雷神(ほのいかづちのかみ) 玉依姫命 神武天皇
例祭日 5月第二日曜日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
乙訓郡(オトクニ) 19座(大5座・小14座)

延喜式神名帳 式内社 山城国乙訓郡 向神社
読み:ムカヘ
(合祀)式内社 山城国乙訓郡 乙国坐火雷神社(名神大 月次/新嘗)
読み:ヲトクニニマスオホイカツチ
御祭神 火雷神
(他の論社は長岡京市の角宮神社)

近代社格制度 旧府社

創建     伝:養老2年(718)
本殿様式   三間社流造 桧皮葺

境内摂末社(祭神)

勝山稲荷社(宇迦之御魂神)・天満宮社(菅原道真公ほか)・増井神社(火雷神の荒魂神を祀る井戸が御神体)
五社(大己貴神、武雷神、別雷神、磐裂神、事代主神)・春日社・御霊社

文化財

本殿 国指定重要文化財
『日本書紀』 神代巻下巻 延喜4年(904年)、藤原清貫筆 国指定重要文化財
飾太刀(天狗久光作の銘あり)

一口メモ

向日市は亡き父の長姉といとこが住んでおられ、京都の大学受験で泊めていただいたり、馴染みがある町でもあり、何十年ぶりに訪れた。桓武天皇が奈良の平城京から長岡京に遷都し(現在の向日市と長岡京市にかけて)、山城で最初に開かれた土地。神社は向日市役所や向日町競輪のすぐ近くの向日山丘陵地に古い商店街の町並みに長い石畳の参道がある。

歴史・由緒等

現在の本殿は応永2年(1418年)に建造されたもので、室町時代の流れ造り様式の代表的な建築物として、国の重要文化財に指定されている。
また明治神宮の本殿は向日神社をモデルにして(向日神社×1.5倍のスケール)造られました。

当社は延喜式神明帳に記載された、いわゆる式内社であり、神明式においては山城国乙訓郡向神社と称され、後に同式の乙訓坐火雷神社(オトクニニマスホノイカヅチ)を併祭して今日に至っている。この両社は、同じ向日山に鎮座されたので、向神社は上ノ社、火雷神社は下ノ社と呼ばれていた。
向神社の創立は、大歳神の御子、御歳神がこの峰に登られた時、これを向日山と称され、この地に永く鎮座して、御田作りを奨励されたのに始まる。向日山に鎮座されたことにより御歳神を向日神と申し上げることとなったのである。
火雷神社は、神武天皇が大和国橿原より山城国に遷り住まれた時、神々の土地の故事により、向日山麓に社を建てて火雷大神を祭られたのが創立である。後、養老二年(718年)社殿を改築し、新殿遷座の際、火雷大神の御妃神、玉依姫命を、また創立の因縁により神武天皇を併祭された。
その後、建治元年(1275年)社殿荒廃により、上ノ社に併祭、以後下ノ社の再興がならず上ノ社に上記四柱を御祭し、向日神社として今日に至っている。
上ノ社は五穀豊饒の神として、下ノ社は祈雨、鎮火の神として朝廷の崇敬の特に篤い神社であったことは、古書に数多く見られるところである。

「全国神社祭祀祭礼総合調査」 神社本庁 平成7年

境内・社叢

  
鳥居                   鳥居扁額

  
社号標                  手水舎

  
舞楽殿

  

拝殿                   拝殿彫刻

  
狛犬              本殿と右の祖霊社をつなぐ渡り廊下

  
本殿

境内摂末社

  
勝山稲荷社

  
元稲荷社(勝山稲荷社の奥)

  
天満宮 拝殿

  
天満宮 本殿               五社神社

  
本殿右 祖霊社             春日社

  
向日神が影向したという磐倉 役行者、勝山身代不動尊など


本殿奥 増井神社?

  
本殿左 御霊神社

  
向日大明神(右)、秀九大明神           今年の午の絵馬

地名・地誌

向日山

向日神社のある向日山は、弥生時代から乙訓のシンボルであったことから、3世紀の後期、京都盆地で最初の古墳、元稲荷古墳が造られました。
元稲荷古墳は、卑弥呼の墓だといわれる箸墓古墳と同時代の古墳で、以後造られる乙訓の古墳の多くは、この92メートルの前方後方墳を基準にして造られ、乙訓で一番大きな恵解山古墳も真南にあります。

向日神社の創建も元稲荷古墳と何らかのかかわりがあると考えられ、向日神社の氏子圏は向日市だけでなく、長岡京市や西京区の一部を含んでいます。
御祭神の火雷神(ほのいかづちのかみ)は、上賀茂神社の御祭神別雷神(わけいかづちのかみ)の親神様であり、この神様をお祀りしていたカモ族が、この地(井ノ内)から上賀茂に移り住んだものと考えられます。
『神社公式サイト』

したがって、向日の名は、この向日山及び向日神社からで、延喜式神名帳にはムカヘとあるので、古くは向一文字でムカヘと読まれていたようである。

六人部是香

(むとべ よしか、寛政10年4月22日(1798年6月6日) – 文久3年11月28日(1864年1月7日)、幕末の国学者。山城国乙訓郡向日神社の神職(忠篤)の子。節香は忠篤の弟で、是香の伯父にあたる。初名惟篤 通称は縫殿・美濃守・宿禰などと称する。号は葵渓・一翁・篶舎など。生年は1806年説もある。享年66。

現在の宮司は六人部 是継氏(95代目)

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他


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