式内 多倍神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 式内社 出雲国飯石郡 多倍神社
読み:古 タヘ、現在 たべ
江戸時代は「劔大明神」と称していた
所在地 島根県出雲市佐田町反辺字横塚1064
旧地名 出雲国飯石郡
御祭神
須佐之男命(すさのお のみこと)
合祀
足仲彦命 誉田別命 息長足姫命 湯山主命 稻田姫命 和田津見命

多米連の祖 『特撰神名牒』
例祭日 11月5日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
飯石郡[イヒシ(イヒス)]:5座(並小)

『出雲国風土記』「多倍社」

近代社格制度 旧県社

創建     天平5年(733)『出雲国風土記』に「多倍社」と記載されているのでそれ以前
本殿様式   大社造変態

境内摂末社(祭神)

稲荷社 倉稲魂命   農工商の守護
厳島社 市杵島比売命 海運の神
随神門 左神=豊磐門戸命(矢大臣)右神=奇磐戸門命(左大臣)

一口メモ

須佐神社とともに佐田町にある。道がわかりにくく日田森林公園や反対側まで行き過ぎて日が暮れかけてしまった。したがって写真が微妙。

歴史・由緒等

御由緒
1.祭神 須佐之男命
「棟札」に須佐之男命 八岐大蛇を斬り玉うた剣の御神霊を祭る。故に里人剣明神という。
このお宮は大変古い神社で1300年前にすでに国の神祇官という役所の神社名簿に多倍社として記されていた「官社」であります。
「式内社」と申しますのは、これ又1100年前につくられた「延喜式」という国の書物にも「小社多倍神社」として記載されていますので延喜式の内に記されている神社で式内社と申します。
2.合祀の神々
宇佐八幡(高櫓八幡)  明治6年6月合祀
石清水八幡       明治40年7月合祀
河内神社        同
湯村神社        同
以上4社9柱の神々を合祀して今日に至る。
3.社殿
大社造りの変態 明治20年新造、七尺(2,2m)四方、四方に廻り縁勾欄をめぐらす。階は本殿の中央に設け御拝をつくる。この様式が大社造りの変態といわれる由縁である。
4.境内末社
1.稲荷社  倉稲魂命   農工商の守護
2.厳島社  市杵島比売命 海運の神
3.随神門  左右に兵仗を帯びた二体の神像を安置せる門。左神=豊磐門戸命(矢大臣)右神=奇磐戸門命(左大臣)
5.伝説「首岩」について
御本社のま後に玉垣をめぐらした二つの大岩をいう。直径約4m高さ2.5m厚さ1.2mの岩が倒れかかるように重なっている。「社説」によるとこの神社より北方500mの所に怪岩奇嶂あり「鬼の窟」という。(自由観光歩道が通ずる)天井岩、千畳岩、腰のし岩、地獄岩等ありて往古鬼共の住める巣窟であった。この鬼の大将を多倍神社の祭神須佐之男命が退治したまい、その首を埋めその蓋になさったという岩がこの首岩であると。
私たちの先住民族の間には、奇岩、怪石又は神秘なことが現れたりする大木、山岳、瀧等々神が宿るとしてこれを信仰の対象として祀る風習があった。この首岩も石神信仰の一つとして始めはこの岩が多倍神社の御神体として崇敬されていたのではなかったかと言われている。

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
神社鳥居                鳥居扁額


社頭掲示板

  
手水舎                  随神門

  
拝殿                   本殿


本殿奥の首岩が元の御神体だったといわれる

  
境内社 厳島社ともう一社         稲荷社

地名・地誌

反辺(たんべ)

多倍が反辺になったのだろう。

地 図

島根県出雲市佐田町反辺1064

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、

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