国府地区(気多郡国府郷)・中筋地区(加陽郷) 豊岡市日高町(気多郡) 官社(式内社) 旧村社 兵庫(但馬国)

式内 御井神社(豊岡市日高町土居)

概 要

社号 式内社 但馬国気多郡 御井神社
読み: 古 ミヰ、現 みい
江戸時代は「天満宮」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市日高町土居字天神228
旧地名 但馬国気多郡国府比遅村、のち土居村
御祭神 御井神(みいのかみ) 配 菅原道眞
例祭日 10月15日

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
気多郡(ケタ):21座(大4座・小17座)

『気多郡神社神名帳』記載三ニ社のひとつ

近代社格制度 旧村社
創建     不詳(神武天皇の御世)
本殿様式  流造桧皮葺
境内摂末社(祭神) 秋葉神社・須賀神社・田中神社

歴史・由緒等

御由緒
創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し近世天満宮と崇めしも明治三年御井神社と 改称す同六年十月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

『国司文書 但馬神社系譜伝』
国府郷 御井神社
気多郡比遅村鎮座。
祭神 御井比売命
人皇一代神武天皇の御世、比遅井の丘に鎮座す。
御系譜 大己貴命と八上姫命の女(むすめ)

『国司文書 但馬故事記』(第一巻・気多郡故事記)に創建順に登場する気多郡の神社は、気多郡佐々前村の開拓の記載にはじまり、佐久宮(佐田の佐久神社)、磐船宮(道場の磐舩神社)に次いで、気立神社(気多神社)、そして御井神社の創建になる。

天照国照天火明命は、国作大己貴命の勅を奉じ、
両槻天物部命の子、佐久津彦命をして佐々原を開かしむ。
佐久津彦命は篠生原に御津井を掘り、水を灌ぎ、御田を作る。後世その地を名づけて、佐田稲生原(稲飯原とも書く)と云う。いま佐田伊原と称す。気多郡佐々前(ササクマ)邑これなり。

(中略)御井比咩命(比咩=比売・姫)を比遅井丘に斎き祀り(比遅井は霊異井の義)、御井の湧き栄えを祈るなり。

御井比咩命の祖、稲葉八上姫は天珂森宮に在す。

※『国司文書 但馬郷名記抄』には、八上姫神社と称し奉る。

境内・社叢

  
社叢                       鳥居

  
本殿と左右の境内社


拝殿扁額は天満宮


舞殿の上には火の見櫓か見張り台らしき構造になっている

地名・地誌

国府

『国司文書 但馬郷名記抄』
国府所在の地なり。またの名は気多郷。
土居(ヒジイ)村・伊智村・堀部・美努(ミノ)・熊野・芝垣・池上(イキノヱ)・上石(アゲシ)
(以上)

土居

土居は古くは「ヒジイ」と読む。比遅井、比遅村と書いた。同じ気多郡(今の豊岡市)に土淵も(ヒジウチ)がある。

『国司文書 但馬故事記』注釈 吾郷清彦著によると、比地(比遅)は、奇霊地の義。比遅井は霊異井の義で、御井の湧き栄えを祈るなりとある。

例:天火明命は丹波国加佐志楽国に於いて、この国を国作大巳貴命に授かり、天道姫命(以下省略)等を率いて、この地に来たり。真名井を掘り、御田を開きて、その水を灌ぎ給いしかば、即ち垂り穂の稲の甘美稲秋の野面にしないぬ。

故れ此の地を名づけて、比地の真名井原と云う。

(京都府京丹後市峰山町の比沼麻奈爲神社、もしくは宮津市籠神社奥宮真名井神社

(私の注釈)

近郊に国府があったのはほぼ間違いないが、国府には池上、堀、土居と地名から国衙があった証拠とするのが定説である。しかし、今は土居で“どい”と呼ぶが、古くは気多郡国府比遅村と書いた通り、”ヒジイ”と呼んでおり字も異なる。土居村と書くようになったのは、律令制が崩壊して久しい鎌倉時代からである。土居がドイと発音するようになったのであって、国衙の土居を指すというのは全く根拠がないのではないだろうか。

『校補但馬考』(桜井勉著)に、気多郷は 山本・松(ノ)岡・土居・手邊・国府(コフノ)市場・堀・野野荘・池(ノ)上・芝の村、祀典所伝、伊智神社(国府市場村)、御井神社(土居村)、三野神社(野野荘村)と記されている。

地 図

兵庫県豊岡市日高町土居228

参 考

『延喜式の調査』さん、他

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