式内 河上神社(五色町鮎原)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社号 河上神社・八幡宮
読み:かわかみじんじゃ・はちまんぐう
江戸時代は「天満宮」
延喜式神名帳 式内社 淡路国津名郡 河上神社
読み:カハカミ
所在地 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562
旧地名 淡路国津名郡
御祭神
主祭神 高咩神(タカオカミノカミ)
配祀神 菅原大神(スガワラノオオカミ)
「兵庫県神社庁」

河上神社社頭案内碑
本社 河上大神
相殿 天満宮 (菅原大神)
配祀 中将殿(菅公の第一の御子高槻朝臣)
吉祥女(菅公の御北方島田氏宣来子)
例祭日 4月25日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』式内社
南海道 163座 大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
淡路国 13座(大2座・小11座)
津名郡(ツナ) 9座(大1座・小8座)

近代社格制度 旧県社
創建     年代不詳
本殿様式   流造 銅板葺

境内摂末社(祭神)

八幡神社・上諏訪神社・合殿(十二社)
【別当】隣接している延長寺

河上神社論社
河上神社 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562
河上神社 兵庫県淡路市斗ノ内1087
川上神社 兵庫県淡路市木曽上畑850

文化財

県指定文化財 イブキ
樹高16.5m、胸高間3.34m、根廻り3.55m、枝張り東西7.5m、南北9.5m、推定樹齢約500年。イブキは本州、四国、九州の海岸地方に自生し、広く植栽されている。

一口メモ

淡路式内社で、論社が複数あり、ある意味調べ甲斐がある神社。五色町鮎原南谷の当社は大きな神社なのでそんなに時間がかからなかったが、淡路市木曽上畑850と淡路市斗ノ内1087は道が細く分かりづらいのでたどりつくまで時間がかかった。いずれかが元の社地だったのか、何かの理由があって論社が分かれているのだろうが、現在地の該当する神社であっても、古社地であっても移転した理由を知りたいし、分社と考えれば否定されるべきものではないと思うので、論社はできるだけ廻るようにしている。

歴史・由緒等

贈正一位太政大臣菅原道真朝臣をお祀りしてあり天満天神と称され知徳を進める学問の神として広く崇敬されている。
由緒
本社河上神社は創立年代不詳であるが延喜式神名帳に『淡路国津名郡河上神社』とあり古くは国幣にあずかり崇拝されてきた神社である。
相殿の天満宮は延喜元年(901)菅原道真公が筑紫に下向される途上播磨灘で強い北風にあい船を都志浦に寄せられ「川上に貴き霊神あり」と聞かれて当河上神社にお参りし祈念されたという。
その由縁をもって菅公が太宰府に於いて薨ぜられた後里人たち敬慕して此所に管廟を営みお祀り申し上げ以来淡路唯一の天満宮として崇められている。

「社頭石碑」

由 緒

延喜式神名帳に「淡路国津名郡河上神社」とある。

往古は祈念国幣に預り給ひ皇室の御尊崇をかがふりし神社たること明らかである。

社伝によりと、「菅公大宰府に謫せられ給う時、北風に逢い都志浦に船を泊めて都に志すという。郷の名我意を得たり。今遠き筑紫に左遷さるとも、身罪なきを知ろしめし給いて、再び朝廷に帰ることを得まほしとの給う。夫より都志河上に沂り、鮎原の里に遊覧し給う。」

淡路常盤草に天神は地祇に対する也。世俗に天神といへば多くは菅神のこととのみ覚えて、当社をも天満天神と称すること久し。式内の河上神社必ずこの霊地をいう。

-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢

  
鳥居                   神門


神橋・中の鳥居

  
神門内の両側に狛犬ではなう左右に天満宮ならではの牛像

  
境内                   手水舎

  
県指定文化財 イブキ         拝殿

   
狛犬

  
拝殿扁額                 祝詞舎・舞殿・拝殿

  
本殿左上 境内社 八幡神社?      老松殿・紅梅殿

  
本殿右手境内社 合殿(十二社)       上諏訪神社

地名・地誌

地 図

兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562

交通アクセス・周辺情報

車 神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICの南西7000m
海の側にある洲本市五色町総合事務所(旧五色町役場)から、都志川を4000mほど南東

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

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