八幡市・久御山町・城陽市(久世郡) 京都(山城国)

式内大社 水主神社・樺井月神社

 

概 要

社号 水主神社
読み みずし・みぬし
延喜式神名帳
式内社 山城国久世郡 水主神社十座 並大 月次新嘗 就中同水主坐天照御魂神・水主坐山背大国魂命神二座 預相嘗祭
式内社 山城国 久世郡 樺井月神社 大 月次新嘗(境内社)
所在地 京都府城陽市水主宮馬場1
御祭神 天照御魂神あまてるみたまのかみ饒速日尊にぎはやひのみこと)・天香語山神あめのかご(ぐ)やまのかみ天村雲神あめのむらくものかみ天忍男神あめのおしおのかみ建額赤神たけぬかかのかみ建諸隅命たけもろすみのみこと建筒草命たけつつくさのみこと建多背命たけだせのみこと倭得玉彦命やまとえたまひこのみこと、山背大国魂命…十柱
(合祀) 衣縫神社 大縫命 小縫命
例祭日 11月中旬日曜日 新嘗祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
久世郡 24座(大11座 小13座)
式内社

近代社格制度 旧郷社
創建
本殿様式

境内摂末社(祭神)

式内樺井月神社 祭神:月読命
野上社、稲荷社、金刀比羅社

一口メモ

今回は7時の夜明けに京都八条口のホテルを出て鳥羽や木津川右岸の式内社を巡る。昨年11月、木津川左岸の山城国式内社をめぐった際、京阪奈自動車道・新木津川橋の右岸堤防の近くに、島のように大きな社の杜が見えているのに、京阪奈自動車道の橋のかなり手前から乗らないと行けないので時間がかかりそうなので断念した悔しい思いがある。

近鉄京都線・富野荘駅の西約1km、京阪奈自動車道城陽ICのすぐ南だが、新名神高速道路城陽JCT・IC工事中で道が迂回させられなんとか辿りつけた。後で調べるともうひとつ東の府道から行けば苦労しなかったのだが。

拝殿をくぐると本殿及び境内は鉄のフェンスで囲まれて入れなくなっている。大社でありあがら荒廃している。

歴史・由緒等

由緒

水主神社は往古より世に聞えたる名神大社なり。その祭神は天照御魂神あまてるみたまのかみ饒速日尊にぎはやひのみこと)・天香語山神あめのかご(ぐ)やまのかみ天村雲神あめのむらくものかみ天忍男神あめのおしおのかみ建額赤神たけぬかかのかみ建諸隅命たけもろすみのみこと建筒草命たけつつくさのみこと建多背命たけだせのみこと倭得玉彦命やまとえたまひこのみこと山背大国魂命やましろのおおくにたまのみことの十柱にして天照御魂神は即ち火明命ほあかりのみことにて氏の高祖なり。

第十世山背大国魂命にいたり山背に移り大に其の国に功烈あり之を尊みて山背大国魂命という。その子山城水主連となり世々其の祀を奉せしものなり延喜式には水主社十座並大月次新嘗と定められ、特に天照御魂神と山背大国魂命とは四季祭相嘗祭に預かり又祈雨大神の内に加わり仁寿貞観のころ加茂両社松尾稲荷住吉大社等諸社と共に新年祈雨の奉幣あり朝家御崇敬上下帰依信仰尤も厚しという。

樺井月神社 祭神は月読命にて、今より千二百年前、文武天皇大宝元年に神稲を賜り、・・・牛疫流行 まことに綴喜・相楽両郡斃死して、ほとんど尽さんとするや、当社に奉幣祈祷行われ、たちまち止む。

延喜式には大社に列し、四度官幣祈雨祭に預かれる事、国史に見ゆ。古来朝廷より牛馬の守護神として祈願奉幣を賜るは当社以外に類を見ず。なお当社は綴喜郡(木津川の対岸・綴喜郡大住郷(現京田辺市大住))に鎮座せしも、度重なる木津川洪水のため280年前当社に遷座す。

衣縫神社と申すは、天地開け 豊縫野尊の御神徳にして、天照大神の時より、衣類の女神の仕業として世に稀なり。左右に坐す二柱の神達は神代、天香語山命の御子 天村雲命より九世の孫にて人王十三代成務天皇の御宇(御代)、淡海(近江)国志賀(滋賀)の高穴穂宮に使え奉り、糸縫い針の機業を興し給う。ゆえに末代の今に至るまでその職たる人達はこの大神を祖神として敬い奉り給う。

昭和54年11月   水主神社「社頭掲示板」

「戸原のトップページ」さんは、

「天照御魂神は即ち火明命ほあかりのみことにて氏の高祖なり。」火明命は天火明命のことで、別名は天照国照彦饒速日天火明命という長いフルネームを持つ。天火明命は京都府宮津市の丹後国一宮この神社の御祭神であり、古丹波国との関連が読み取れる。この神社の社家・海部氏系図(国宝)には、「水主氏・雀部氏・軽部氏・蘇冝部氏・三富部氏は玉勝山代根子命(タマカツヤマシロネコ、ホアカリ9世の孫)の裔」
との注記があり、ここでいうタマカツヤマシロネコ命とは、由緒にいう山背大国魂命(ヤマシロオオクニタマ)と同一神という(由緒に10世孫とあるが、系図では9世孫)。この一族が丹波国から当地へ移ったのはタケタセ命の頃か後の世代かは不明だが、3代後のヤマシロネコ(ヤマシロオオクニタマ)の後裔氏族が当地一帯に多いことから、この世代までには移っていたと推測され、由緒が“山背大国魂命(玉勝山代根子命)にいたり山背に移り、云々”というのは、これをうけたものであろう。

当地一帯には、当社の他にもホアカリ(あるいはタマカツヤマシロネコ)を祖とする氏族(尾張氏系)が関与する神社として、水度神社(三富部氏・城陽市寺田水度坂)・荒見神社(三富部氏・城陽市富野荒見田)・室城神社(榎室氏・久御山町下津屋)があり、唯一式内大社である当社が、その中心的存在だったと思われる。」

境内・社叢

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社叢

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社号標 (左)水主神社 (右)樺井月神社

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一の鳥居                 二の鳥居

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手水                   手水舎(使われていない)

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本殿

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本殿左手 式内樺井月神社            本殿右手境内社 (左)野上社、(右)稲荷社

地名・地誌

地図

京都府城陽市水主宮馬場1

交通アクセス・周辺情報

参 考

「戸原のトップページ」さん、「延喜式の調査」さん

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