美方郡新温泉町(二方郡) 旧温泉町(二方郡) 旧村社 兵庫(但馬国)

村社 常磐神社(新温泉町中辻)

概 要

社 号 常磐神社

読 み ときわじんじゃ
別 名
刀伎波兵主神社? 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県美方郡新温泉町中辻304

旧地名 但馬国二方郡刀伎郷(のち温泉郷)
御祭神 主祭神 天神七代アマツカミナナヨ
配祀神 地神五代クニツカミイツツヨ 高皇産霊命タカミムスビノミコト
刀岐波兵主神 『国司文書・但馬故事記』
御神紋
例祭日 10月12日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   霊亀2年(716) (人皇40代天武天皇白凰12年(672)『国司文書・但馬故事記』)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

文化財
「中辻芸踊」 町民俗文化財
香美町や温泉地域で広く踊られている「芸踊り」ですが、中辻芸踊は刀剣等を持って踊る素朴なもの、全て男性で、男役は前掛けに諸肌脱いだ姿。女役はねごまと鉢巻き、たすき掛け姿。道具は全て手作りのものを使用しています。桃山時代より中辻村に伝わる盆踊りで仏様の供養として、8月14~15日の手踊りの合間に踊り、名所敵討ち場面等を表現しています。「新温泉町」

一口メモ

日没が近い中、ナビによって薄暗い山中に。狭い道を神社のそばまで行けたが、最後の360度近い折り返しのカーブは車の切り返しに苦労する。行き方が分からなかったため、氏子さんの車道から行ったようだ。正面の石段を行くべきで、やめたほうが良い。鳥居は撮れなかった。また後日改めて行きたい。

歴史・由緒等

霊亀2年(716)村内字中山に創立すと伝え後に宮坂に移転遷座せらる。
永正9年(1512)8月大洪水の為に社殿流失せしかば今の地に移転再建す。
明治2年(1869)常磐神社と改称し同6年(1873)3月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

人皇40代天武天皇白凰12年(672)閏4月 文武官に教えて、軍事を努め習わしめ、兵馬器械を具え、馬有る者を以て騎兵と為し、馬無き者を以て歩卒と為し、時を以て検閲す。牧馬場を当国の刀岐波邑に設け、刀岐波兵主神を祀り、兵馬の生育を祈らしむ。

『国司文書・但馬故事記』

二方国の最初は、人皇1代神武天皇5年(BC656?)8月 若山咋命の子、穂須田大彦命を以て、(初代)布多県国造と為す。穂須田大彦命は、久々年命の娘、萌生比売命を娶り、刀岐波彦命を生み、宇多中宮に在りて国を治む。(宇多中は今の歌長)

人皇3代安寧天皇10年(BC539)春3月 刀岐波彦命を以て、(2代)布多県国造と為す。刀岐波彦命は刀岐波宮に坐して国を治む。(刀岐波は常磐であり、常磐神社のある、今の中辻)

人皇5代孝昭天皇元年(BC475)夏4月 刀岐波彦命の子、布伎穂田中命を以て、(3代)布多県国造と為す。布伎穂田中命は志波山宮に在りて国を治む。

人皇8代孝元天皇56年春3月 布伎穂田中命の子、糠田泥男命を以て、(4代)布多県国造と為す。糠田泥男命は泥男宮に在りて国を治む。

人皇10代崇神天皇3年秋7月 糠田泥男命の子、宇都野真若命を以て、(5代)布多県国造と為す。宇都野真若命は浜阪宮に在りて国を治む。(これ以降、府は大庭郷[旧浜坂町]に遷るが、二方国造は16代真弓射早彦命まで二方国を廃止し、但馬国二方郡になるまで世襲。初代二方郡司、榛原公照来は郡家を端山郷(歌長周辺)に置く。榛原公照来は初代但馬国司 榛原公鹿我麿の子だと思われる。)

(中略)

人皇37代孝徳天皇2年5月 二方国造、真弓射早彦命に勅して、当国の甲冑および弓矢を閑広の処に収め、兵庫を作り、軍団を設けしめ給う。(中略)

兵主神を祀り、軍団の守護神と為す。これを射所兵主神社と云う。(井土か?)
またその祖武田祈命を兵頭丘に祀り、面沼神社と称えまつる。(式内面沼神社 美方郡新温泉町竹田)

(最初の二方国の軍団は竹田周辺に置かれたと思われ、人皇40代天武天皇白凰12年に照来地区の高原へ遷されている)

境内・社叢

  
鳥居                       拝殿

  
拝殿                       本殿覆屋

  
境内社

地名・地誌

地 図

兵庫県美方郡新温泉町中辻304

交通アクセス・周辺情報

参 考

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