村社 愛宕神社(兵庫県豊岡市山本)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 愛宕神社
読み: あたご
所在地 兵庫県豊岡市山本船町29-3
旧地名 但馬国城崎郡田結郷
御祭神 賀久土神(カグツチノカミ)
例祭日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建     天正4年(1576)

本殿様式

境内摂社(祭神)

なし

文化財

鶴城址 豊岡市指定史跡

一口メモ

国道312号を城崎方面へ。円山川に架かる堀川橋東詰めを左折。狭くなる辺りに愛宕山登山口という案内板がある。そこから山上まで登山道がある。兵主神社本殿横からも愛宕神社参道がある。

歴史・由緒等

由 緒 天正4年(1576)7月田結庄地頭田結庄左近将監平是義滅亡の時、田結城下兵燹に罹る。爾来屡々火災ありしかば遂に明和3年(1870)6月愛宕山宝成寺の和尚 山城国愛宕神社の分霊を勧請して之を奉祀し其災を免れんことを祈りしに初まる。明治6年(1873)10月村社に列せらる。

-「兵庫県神社庁」-

カグツチとは、記紀神話における火の神。 『古事記』では、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)・火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)と表記される。また、『日本書紀』では、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記される。(ウィキペディア)

境内・社叢

  
船町の登山口           八坂神社裏手の参道・登山口

  
頂上付近の参道石段 かつての鶴城登城大手口であろう    鳥居


本丸跡に立つ 本殿覆屋 右境内社

交通アクセス・周辺情報

愛宕山(鶴城址)                                           
  
鶴城ニノ曲輪跡                   家紋入り瓦 桔梗は田結庄氏の家紋ではない。愛宕神社か寺院のものだろうか?

地名・地誌

鶴城址

鶴城址案内板 鶴城址(市指定史跡)

愛宕山城(鶴城)は豊岡市を貫流する円山川の東方の愛宕山上に存在した山城で、永享年間(1429~41)、但馬守護職山名宗全の家臣で四天王のひとりである田結庄是義による築城と伝えられる。戦国時代になると、「山名四天王」の一人田結庄氏の居城となった。市街中央の城崎城(別名亀城)に対して鶴城といわれた。但馬有数の規模を有した城で、三方に延びる尾根上に広がる南北660m、東西460mの城域には曲輪が連なり、堀切、土塁を多用され、戦国期特有の畝状竪堀も設けられている。

戦国時代、守護山名氏が衰退すると、山名四天王と称された垣屋・太田垣・八木、そして田結庄氏らが自立、割拠した。やがて、西国の毛利氏、上洛を果たした織田信長の勢力が但馬に伸びてくると、両者の間で動揺する山名四天王の間で勢力争いが激化、天正三年(1575))、野田合戦が起こった。鶴城主である田結庄是義と竹野轟城主垣屋豊続の戦いであったが、織田方の田結庄氏と毛利方の垣屋氏による代理戦争でもあった。結果は、田結庄氏の敗戦で、是義は正福寺で自刃、鶴城は垣屋豊続が支配するところとなった。しかし、天正八年、羽柴秀吉の但馬平定戦に抗して敗れた垣屋豊続は没落、鶴城はその歴史に幕を閉じた。

-参照「播磨屋さん」-


愛宕山

 <
豊岡市街

山名四天王 田結庄氏と鶴城

地 図

兵庫県豊岡市山本船町29-3

参 考

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