名神大社 洛西 京都市 京都(山城国)

松尾大社境外摂社 名神大 月読神社

概 要

社 号 松尾大社境外摂社 月読神社
延喜式神名帳 式内社(名神大) 山城国葛野郡 葛野坐月讀神社
読み: 古 ツキヨミ 現 つきよみ

所在地 京都市西京区松室山添町15
旧地名 山城国葛野郡
御祭神
主祭神 月読尊(つきよみのみこと)
相殿 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
例祭日 10月3日 例祭

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
葛野郡[カトノ]:20座 大14座 小6座
式内社(名神大)

近代社格制度

創建     顕宗天皇3年(487年)
本殿様式   流造 桧皮葺

境内摂末社(祭神)

聖徳太子社(聖徳太子)・御船社(天鳥舟命)
月延石(つきのべいし)

一口メモ

松尾大社からしばらく旧道を南へ下ると右手に見える。日没近くで社頭でスナップをとり、後日改めてゆっくりと参拝することにした。伊勢神宮においても月読宮(つくよみのみや)が内宮・外宮それぞれ重要な位置に鎮座されているが、松尾大社においても側に月読尊が祀られているのが興味深い神社である。

2014.1.29京都洛西で残る式内社探索は、前回参拝できなかったその同社からはじめた。

歴史・由緒等

松尾七社の一として古くから祀られる。

月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。
文献によれば、顕宗3年(487)阿閉臣事代が朝鮮半烏に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡3年(856)に松尼山南麓の現在の地に移ったと伝えます。
境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。
月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡米系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京郁の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。
平成5年4月1日 指定
京都市
「社頭掲示板」

「安産の神」として深く信仰されております。
第三十四代舒明天皇が月讀尊の神託を受けて奉納されたといわれる神功皇后ゆかりの安産石(月延石=つきのべいし)が伝わっており、安産祈願の参拝者が多いことで知られています。
こと「戌の日」に限っては、神職がおり安産を祈願する祈祷者が絶えません。
月讀尊は、天照大御神・素戔嗚尊と共に伊弉諾尊の三貴子のおひと方ですが、ご兄弟に比べますと、神話の中で具体的な御事績はあまり述べられていませんが、しかしそれだけに、かえって月神としてのご神威を深く畏れ、尊び敬われてきたともいえるようです。
三貴子のうちで月讀尊を祀る神社だけが圧倒的に少ないのも、もしかしたらその反映であるのかもしれませんし、それだけにかえって月神としてのご神威を深く畏れ、尊び敬われてきたとも言え、例えば伊勢の神宮では、外宮・内宮ともに最も近くに鎮座する別宮がそれぞれ月夜見宮・月讀宮であることからも、その格式の高さを象徴していると言えます。

当松尾大社の月讀神社は、『日本書紀』によると第二十三代顕宗天皇の三年(五世紀頃)の創祀であると記されています。
もとは平地の「歌荒樔田」という所に鎮座したと言われますが、幾度と度重なる桂川の氾濫で川道が変わったため、その正確な場所は未だ特定されておりませんが、その後、水害を避けるため為に山手の現在地に遷座されたと言われています。

ともあれ、この月讀神社は平安時代の延喜式内社として名神大社に列し、正一位・勲一等という高い神階を有する独立した屈指の神社であったわけですが、それが時代の流れとともに推移し、後には「松尾七社」の内に、その筆頭社として含まれるようになり、明治時代以降は、松尾大社の境外摂社となっています。
春の松尾祭では、いわゆる「松尾七社」のご祭神が、一基の唐櫃と六基の神輿にて巡幸します。その七社の先陣を飾るのが唐櫃の月読社です。

『都名所圖會』(江戸時代のガイドブック)に船渡御の挿絵がありますが、ここには七基の神輿が描かれており、月読社の神輿が川で流失した為に唐櫃になったという言い伝えもありますが、真実は現在では明らかにされておりません。
洪水で社地を遷し、また神輿の流失も伝える月讀神社の境内に、水上安全の神である御船社が祀られているのも由無しとしません。
-『神社公式サイト』より-

顕宗天皇の三年(487年)葛野郡の荒樔田(上野辺付近)に鎮座
斉衡三年(856年)に水害の危険を避けて、松尾山南麓の現在地へ

『日本書紀』によれば、阿閉臣事代が任那に遣わされる途中、壱岐で月讀尊の神託があったのでこれを天皇に奏上し、顕宗天皇3年(487年)、「山城国葛野郡歌荒樔田」に神領を賜って壱岐の月読神社の神を勧請し、壱岐県主・押見宿禰に祀らせたのに始まる。歌荒樔田の比定地は、上野村、桂里、有栖川流域説など諸説ある。斉衡3年(856年)、水害の危険を避けるために、現在地の松尾山麓に遷座された。押見宿禰の子孫は卜部氏を称し、代々神職をつとめた。
大宝元年(701年)には例祭が勅祭と定められ(『続日本紀』)、延喜6年には最高位となる正一位の神階を受けている(『扶桑略記』)。延喜式神名帳では「葛野坐月読神社」と記載され、名神大社に列している。天慶4年(942年)には神宮号の宣下を受けた。このように歴史も古く、高い格式を持つ独立の神社であったが、松尾大社の勢力圏内にあることから古くからその影響下にあり、「松尾七社」の一社とされた。
明治10年(1877年)3月21日に松尾大社の境外摂社と定められた。
「ウィキペディア」

境内・社叢

  
鳥居                   鳥居扁額


由緒案内板

  
神門                   拝殿(舞殿)

  
本殿

  
左手 境内社 御舟社        願掛け陰陽石

  
右手 境内社 聖徳太子社     月延石(つきのべいし)
元は筑紫にあり、神功皇后が応神天皇を産む際にこの石で腹を撫でて安産したものと伝えられ、舒明天皇の時代に月読尊の神託によって当社に奉納された。安産の霊験があるといわれている。当社が広く「安産守護のお社」として崇められてきたのは、この月延石によるものです。

むすびの木

地名・地誌

地 図

京都市西京区松室山添町15

交通アクセス・周辺情報

阪急嵐山線「松尾」(松尾大社より約300m南へ)

参 考

『神社公式サイト』、ウィキペディア

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