香住区(美含郡) 美方郡香美町(美含郡・七美郡) 無格社 兵庫(但馬国)

美伊神社(兵庫県美方郡香美町香住区御崎)

 

概 要

社 号 美伊神社
読み:古 ミイ、現 みい
扁額から江戸時代は御碕大明神と称していた
愛称:お御崎さん(おみさき)さん
伊佐々神社 『国司文書 但馬故事記』
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区余部3169
旧地名 但馬国美含郡餘戸郷
御祭神 主祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)

例祭日 9月15日

社格等

近代社格制度 無格社

創建     和銅年間(708~714)
本殿様式   一間社流造、柿葺(18世紀中期)

境内摂末社(祭神) なし

一口メモ

(御碕には小さな集落ながら、平内神社、日吉神社、美伊神社と神社が3社あり、今回ようやく美伊神社を尋ねたので美伊神社を分けた。)
御碕灯台の手前に御井神社の鳥居があり、昨年6月で、そこから先が笹に覆われた細い道を日本海に沿って約1km西へ進まなければならなかったのでさすがに引き返した。灯台西から小さい湾の向こう側の断崖に小さい社殿が見える。
今回は2月。道は正月で区の人々により清掃されたのか歩きやすい。

歴史・由緒等

由 緒

御崎集落にある三つの神社の中で一番奥にあり、伊笹岬に鎮座している。
和銅年間(708~714)の創祀と伝えられている。昔は、修験者の庵があった場所だという。
無人のはずの神社の灯明が灯り漁船の目印になったという。
「兵庫県神社庁」

三川山の麓、香美町三川にある式内美伊神社から分祀されたものだと思う。三川の式内美伊神社は御祭神 美伊毘売命 美伊毘彦命。

『国司文書・但馬神社系譜伝』の美含(ミクミ)郡餘戸郷には、余部の伊伎佐神社のみ記載され、以下のようにある。

伊佐々神社 美含郡餘部郷大祝部山鎮座
祭神 五十狭沙別命(いささわけのみこと)

人皇14代仲哀天皇2年 天皇は皇后息長帯姫命とともに越前笥飯宮(気比神宮)に御幸し給う。
(中略)天皇は使いを越前笥飯宮に遣わし、皇后に教えて、穴門国(長門)において会わんことを伝え給い、皇后は、越前角鹿(いまの敦賀)より船に御し、道を北ノ海(日本海)に取り、若狭・加佐・余謝・竹野海を経て、多遅麻国三島水門(豊岡市津居山)に入り、内川を遡り、粟鹿大神(粟鹿神社)・夜父大神(養父神社)に詣で給う。ついで出石川を遡り、伊豆志大神(出石神社)に詣で給う。
伊豆志県主須賀諸男命は、その子、須義芳男命に教えて、皇后に従わしむ。皇后下りて小田井県大神(-神社)に詣で、水門に遷り宿り給う(お泊りになられる)。その夜越前国笥飯宮に坐す五十狭沙別大神の夢にあらわれ、皇后に教えて曰く、
「船を以て海を渡るには、すべからく船魂神を祀るべし」と。
皇后、教えを奉じ、これを祀り給う。また御食を五十狭沙別大神に奉る。故にこの水門を称して、気比浦と云う(豊岡市気比ノ浜)。[のち香餌大前神13世香餌彦命は、五十狭沙別大神・仲哀天皇・神功皇后をこの地に奉斎す。](式内気比神社:豊岡市気比)
(中略)
御船、伊佐佐岬に至りし時、日暮れたり。この時五十狭沙別大神は、御火を御崎に現し給う。これがために海面明るし。故にこの御崎を名づけて、伊佐々御崎と云う。御火は御船を導き、二方国の浦曲に至りて止まりぬ。故にその浦を名づけて御火浦と云う。
(中略)
3年夏5月 五十狭沙別大神を美伊県伊伎佐山に祀り、椋橋部首を以て神人と為し、祝部を定む。故にこのやまを称して、大祝部山と云う。

境内・社叢

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一の鳥居

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美伊神社新築記念碑

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冬場で雑草は生えていないので歩きやすい  入江の向こう側に祠が見える

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途中見晴らしの良い場所にベンチ。案内標識に「美伊神社0.7km-御碕灯台0.4km」 神社がだいぶ近くに見えてきた。

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石灯籠                 沢伝いに入江を下り、ようやく本殿覆屋が見えた

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二の鳥居                本殿覆屋

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狛犬

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内部扁額

地名・地誌

余部・御碕(みさき)

餘戸郷  『国司文書・但馬郷名記抄』

令条に定るところの郷※。里余りある故に餘戸(アマリベ)と名づく。

※註 餘戸 50戸に満たない郷

伊伎佐岬(また伊佐々岬)

彦坐命(ひこいますのみこと)、陸耳(くがみみ)を追い、この海に至る。供奉(ぐぶ)の神一柱、当芸利彦命ついに陸耳を刺殺す。故にここを『勢刺御膳』(イサシノミサキ)と称す。

帯仲彦天皇(仲哀)(たらしなかつひこのすめらみこと・ちゅうあい)の皇后、息長帯姫命(いきながたらしひめ=神功皇后)、越国笥飯宮(気比神宮)より海路穴門国(長門国)豊浦宮に至るとき、この碕において日暮れたり。その時五十狭沙別(いささわけ)大神御火を現わす。これにより伊佐佐御前(イザサミサキ)という。

地 図

交通アクセス・周辺情報

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日本一高い場所にある御碕灯台       日本一高い余部鉄橋

参 考

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