京都市 洛東・山科 旧郷社 京都(山城国)

若宮八幡宮

概 要

社号 若宮八幡宮
読み:わかみやはちまんぐう
別名 六条左女牛八幡宮・陶器神社
所在地 京都市東山区五条橋東5丁目480
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 主祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
配祀神 左相殿 仲恭天皇、右相殿 椎根津彦大神(陶祖神)
例祭日 若宮八幡宮例祭(8月8日 10時)
若宮陶器神社例祭(8月8日 10時)

社格等

近代社格制度 旧郷社

創建     天喜元年(1053年)
本殿様式   三間社流造銅板葺

境内摂末社(祭神)

安房天満宮(祭神:菅原道真公)
秋葉神社(祭神:火乃焼速尾命(ひのやぎはやおのみこと))
稲荷神社(祭神:宇賀御魂命)
竹生島神社(祭神:市杵島姫命)
産霊神社(祭神:高皇産霊大神)
蛭子社(祭神:蛭子之神)

文化財

本殿(附棟札2枚) 京都市指定文化財(建造物)
若宮八幡宮社関係資料108点 京都市の文化財(美術工芸品)

一口メモ

国道1号線五条坂と東大路通の交差点にあり、交通的に思案した。一号線から参道があり、駐車場はないが、鳥居内に付近の方の車があったのでしばし止めさせていただいた。

歴史・由緒等

ウィキペディアによれば、

天喜元年(1053年)、仏説による末法末世の世の1年目にあたることから、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛(さめうし)西洞院にあった自邸内の坤の隅に造営された石清水八幡宮の若宮(新宮)であったために左女牛八幡宮と称され、また左女牛通の北を六条大路が走り、頼義邸はその間に位置したために六条左女牛若宮や六条八幡宮とも称され、毎年8月に放生会を行う例とされた。

その後保延6年(1140年)正月に石清水八幡宮が火災によって社殿焼失に遭った際には左女牛の若宮に遷座したとの夢告ありと京中の道俗男女の参詣が盛んとなったという。爾来源氏の氏神として同氏からの崇敬を受け、源頼朝は大江広元の弟の季厳阿闍梨を別当職に任じ、文治元年(1186年)12月には土佐国吾川郡の地を寄進。
建久元年(1190年)と同6年に上洛の際には石清水八幡宮と唯2社のみの社参を行い、以後鎌倉時代を通して将軍家代々の社参が恒例とされたり、武家尊崇の大社として地方的にも篤い崇敬を受けた。
室町時代になっても足利尊氏は7種の神宝や社領知行安堵状、義政は51ヶ所の地所を奉納したり、足利将軍家から三条坊門の御所八幡宮社と並んで代々の社参が行われるなど石清水八幡宮に次ぐ幕府の宗祀と崇められ、その結構は京中では祇園、北野に次ぐ規模であったが、応仁の乱の兵火に罹って社殿を焼失するなど荒廃し、足利義輝及び義昭の発起により諸国の武家に寄付を募って再建されたものの昔日の規模には至らなかった。
ほか織田信長、大内義隆、毛利三家、細川、三好、朝倉氏などより神地、神馬、太刀等を奉納される。
天正12年(1584年)、羽柴秀吉による京都改造により御旅所のあった東山に移されて旧地は本願寺の寺域とされ、同16年には方広寺の北に、秀吉薨後の慶長2年(1597年)6月には現社地に三遷された。
元和元年(1615年)、徳川家康より神領73石8斗余を寄進され、同3年に後水尾天皇の勅命で社殿造営、承応3年(1654年)にも後光明天皇が父後水尾上皇の考えにより社殿を造営している(現本殿)。
明治10年(1877年)、宮内省によって伏見街道十六町(現東山区本町十六丁目)の円丘上にあった塚本社から仲恭天皇の神霊が奉遷され、同24年に陶祖神として椎根津彦大神を合祀。
戦後は神社本教に参加し、その本部が置かれている。

境内・社叢


一の鳥居

   
清水焼発祥地五条坂の石碑             二の鳥居

  
手水舎

  
本殿

  
境内社

  
神池と橋

  

地名・地誌

地 図

京都市東山区五条橋東5丁目480

交通アクセス・周辺情報

交通案内 京阪清水五条下車
市バス五条坂下車
駐車場 なし

参 考

「京都観光NAVI」 http://kanko.city.kyoto.lg.jp/

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