旧官幣大社 一宮 別表神社 大津市 名神大社

近江国一宮 名神大 建部大社

概 要

社 号 建部大社
読み たけべたいしゃ
式内社 近江国栗太郡 建部神社 (名神大)

所在地 滋賀県大津市神領1-16-1
御祭神 主祭神 日本武尊 やまとたけるのみこと

配祀 天照皇大神あまてらすすめおおかみ  大己貴命おおなむちのみこと
『大日本國一宮記』、『神社啓蒙』、『諸社一覧』大己貴命
『一宮巡詣記』葦原醜男命(大己貴命)
『神祇宝典』「大三輪神同体」
御神紋 三本杉
例祭日 4月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
栗太郡 8座  大2座  小6座
名神大
中世社格制度 一宮
近代社格制度 旧官幣大社
社格制度廃止後 別表神社

創建   年代不詳
本殿様式 一間社流造

境内摂末社(祭神)

摂社 聖宮神社 大政所神社 藤宮神社 若宮神社
末社 行事神社 弓取神社 箭取神社 蔵人頭神社 大野神社 稲荷神社 八柱神社 (境外) 檜山神社

文化財

女神坐像1体 小神坐像2体 国指定重要文化財

一口メモ

国道1号線から県道57号線に入り、16号線に左折すると長い参道道を進むと駐車場。近江国庁跡と瀬田川の中間。

歴史・由緒等

当社は古来、建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社です。
御祭神、日本武尊は御年僅に16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に32才にして伊勢の能褒野において崩御されましたが、父君景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられました(日本書紀にしるされている)これが即ち建部の起源です。
景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命(ふたじひめのみこと)(父は近江安国造)が、御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳4年(675年)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の当大社です。
歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙にいとまなく、とくに源頼朝が平家に捕われ、14才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永暦元年(1160年)3月20日当社に参篭して前途を祈願した事が平治物語に記されています。遂に頼朝は源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年)11月右大将として上洛の際、再び社前で祈願成就の神慮に対し、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽くされたのです。
爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁盛、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以です。

『神社公式サイト』

古来建部大社、建部大明神と称え、延喜式内名神大社に列し、近江国一ノ宮として朝野の崇敬篤い古社である。
景行天皇四十六年神勅に御妃布多遅比売命が御子稲依別王と共に住まわれた神崎郡建部の郷に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳四年に近江国府の所在地であった当瀬田の地に遷祀された。
当社は歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙に遑がない、殊に源頼朝は平家に捕われ十四才にして伊豆に流される為、京都から関東に下向の折、永歴元年当社に参籠して前途を祈願した事が平治物語に記されている。頼朝は遂に源氏再興の宿願成って建久元年右大将として上洛の際再び社前に額き、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽くされた。
明治十八年官幣中社に、続いて同三十二年官幣大社に列した。昭和五十年御鎮座壱千参百年式年大祭を斎行し、これに伴う記念事業の完遂により御社頭は面目をあらたにした。続いて昭和五十二年「建部大社」と改称された。

『滋賀県神社庁』

境内・社叢

  
一の鳥居                     立派な社号標

  
社号標                      手水舎

  
神門                       御神木 三本杉

  
拝殿                       本殿

   
社殿前狛犬


左 本殿 右 権殿

  
境内右手境内社 蔵人頭神社 行事神社 大政所神社  大政所神社 聖宮神社

  
絵馬所(ドラえもんを祀ってあるのかと思ったw)   藤宮神社 若宮神社

  
弓取神社 筏取神社                 八柱神社

  
武富稲荷神社                    大野神社

地名・地誌

地 図

滋賀県大津市神領1-16-1

交通アクセス・周辺情報

ホームページ takebetaisha.jp/

参 考

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