当社は、『臥雲日件録』の文安四年(1447)8月13日の条に記され、明治の『神社明細帳』には、永禄十年(1567)再建と記してある。こうした点と、建築様式上からも、現本殿は室町時代~桃山時代頃の建立と思われる。
本殿は、一間社流造で彩色が施されている。外観は覆屋を一体一体を成し、屋根は銅板葺きで、破風位置より板壁を回し、正面に軒唐破風付の孫庇を出して、礼拝所を設ける。身舎(もや)は円柱◯連三斗を置き、中備として正面には蟇股が、両側面には間斗はかが置かれている。身舎と向拝は虹梁でつなぎ、向拝柱には面取り角柱で、木鼻には若葉の彫刻がみられ、中央に蟇股が置かれている。身舎と向拝の蟇股はそれぞれに特徴があり、その彫刻は平面的によく納まり、動きも少なくてやや古めかしい。そこに彫られている若葉には、大工の個性的表現がよく表れていて、室町末期頃の地方化した表現を見ることができる。
平成17年3月 「南丹市教育委員会」