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社 号 名神大社 海神社
読み:わたつみ
通称:かいじんじゃ
江戸時代は「垂水大明神」「日向大明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国明石郡 海神社三座(並名神大月次新嘗)
読み:アマ
所在地 神戸市垂水区宮木町5-1
旧地名 播磨国明石郡
御祭神
主祭神 底津綿津見神 (そこつわたつみのかみ )
配祀神 中津綿津見神 (なかつわたつみのかみ ) 上津綿津見神 (うわつわたつみのかみ ) 大日靈●貴尊(●は靈の巫→女 おおひるめのみこと=天照大御神)
例祭日 例祭 10月11日
秋祭りの内、10月12日の神幸祭は海上渡御祭と呼ばれ、御神輿を御座船にお乗せして、お供の船数十隻が先導船(神戸港はしけ運送事業協同組合所属のタグボート)に導かれ、東は駒ヶ林沖、西は舞子沖まで海上のお渡りが執り行われている。
えびす祭
西宮神社と同じくえびすは海の神でもあるため毎年1月10日の前後の3日間行われる。
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
明石郡(アカシ) 9座(大3座・小6座)
近代社格制度 旧官幣中社
社格制度廃止後 別表神社
神仏霊場巡拝の道73番(兵庫8番)・播磨三大社
創建 年代不詳(伝 神功皇后朝)
本殿様式 三間社流造 銅板葺
猿田彦社・稲荷社・蛭子社・祇園神社・天神社
境外 寳ノ海神社 垂水漁協が昭和年に建立
明石海峡の垂水漁港に鎮座する海の神様。豊岡市の日本海に近い津居山港にも名神大 海神社があり、ほぼ兵庫県の南北に名神大 海神社があることから、早くから訪れてみたかった大社。
由緒
今から千八百年前くらいの昔、神功皇后(ジングウコウゴウ)が三韓よりの帰路、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなりました。皇后御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来であります。
この御神徳により、航海安全・漁業繁栄の神として仰がれることはいうまでもなく、さらに当地が海上陸上を問わず、古代交通の要地であったことから、交通安全の神としても仰がれております。
又海は万物をはぐくまる所、綿津見大神の娘 豊玉姫尊(トヨタマヒメノミコト)は彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)に嫁がれて、皇室の親である鵜鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)をお産みになりました。そのとき大変安産であったところから、安産の神でもあり、彦火々出見尊は満珠干珠(みつたまひるたま)の霊力によって水をつかさどり、厄難を去る神であるところから、水産業・農業をはじめ水によって生計を立てる人の守護神であり、開運厄除の神でもあります。
-『神社公式サイト』より-
由 緒
海上安全・生業繁栄・安産の守護神である海神社は、今から千数百年の昔、神功皇后が三韓よりの帰路、暴風怒涛のため、御船を進めることが出来なくなり、皇后自ら綿津見三神を祀り御祈祷したところ、たちまち風波は収まり、無事に都に帰られた。そのとき神功皇后が綿津見三神を祀った御神徳を仰いだのが、鎮座の由来である。『延書式』には、播磨の国の「名神大社」として記されている。
航海安全・漁業繁栄の神として仰がれることはいうまでもなく、海は万物の育まる所であるので、子孫繁栄・子宝の神、また安産の神として仰がれている。
海幸彦・山幸彦の神話に、山幸彦が綿積見大神の「満珠千珠」の霊力により繁栄したと述べられていることから、開運厄除・安産の神としても仰がれている。
別名「衣財田大明神」とも言われていたことから、家業繁栄・商売繁盛・衣食住満足の神として広く崇敬されている。
また、『万葉集』にも、その名が見える。近くには五色塚古墳・大歳山遺跡・舞子移情閣・明石海峡大橋がある。
「兵庫県神社庁」
一の鳥居 二の鳥居
社号標 手水舎
社頭狛犬
左手
右手
拝殿
拝殿扁額
本殿
本殿左境内社 猿田彦社・蛭子社・稲荷社
七福神
本殿右境内社 天神社 境外社 寳ノ海神社大鳥居 (東垂水漁港前)
JR・山陽垂水駅から 徒歩1分
阪神高速「若宮出口」より西へ10分。国道2号線垂水駅交差点北
駐車場完備 参拝利用は無料
五色塚古墳、マリンピア神戸
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他