式内 塩冶神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 郷社 塩冶神社
江戸時代は「塩冶八幡宮」と称していた

延喜式神名帳 式内社 出雲国神門郡 鹽冶神社
読み:古 ヤムヤ、現 えんや
出雲国風土記「夜牟夜社」
通称:塩冶八幡宮、馬場之宮
※鹽は塩の旧字
所在地 島根県出雲市上塩冶町1749-1
旧地名 出雲国神門郡
御祭神
塩冶比古命
配祀 塩冶比売命 塩冶比古眞弓命 燒大刀天穗彦命
合祀 誉田別命 事代主命 大山祇命 塩冶判官高貞
例祭日 4月15日 例大祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
神門郡(カムト):27座(並小)

式内社 出雲国神門郡 鹽冶比古神社
式内社 出雲国神門郡 鹽冶比古麻由弥能神社
式内社 出雲国神門郡 神産魂命子午日命神社
式内社 出雲国神門郡 鹽冶日子命御子燒大刀天穗日子命神社

『出雲国風土記』「夜牟夜社」

近代社格制度 旧郷社

創建     天平5年(733)『出雲国風土記』に「夜牟夜社」と記載されているのでそれ以前
本殿様式   流造 栃葺

境内摂末社(祭神)

天満宮・杵築社・稲荷社・荒神祠・社日祠

一口メモ

出雲市駅の近く。出雲市内の氏神様。『出雲国風土記』に「夜牟夜社」(ヤムヤ)とあるので、エンヤと転嫁したようである。兵庫県美方郡新温泉町浜坂にある塩冶氏の一族、塩冶周防守の芦屋城で馴染みがあることから、塩冶氏の本拠地にある塩冶氏の祖神を祀る当社は楽しみにしていた。

歴史・由緒等

塩冶神社は塩谷判官館の参考地とされる小山一帯に建っている。

城郭としての伝承は無いが、塩冶郷を一望する立地にある。塩冶神社境内で改変されているが、壁の普請は十分である。最高所の普請は不十分であり、古い時代の城郭とも考えられる。塩谷判官館の参考地である。

島根県教育委員会『島根県中近世城館跡分布調査報告書』より引用

当社は大国主命の御孫神である塩治毘古命とその妻神である塩治毘売命を主祭神として御祭りしております。御創建の年代はあまりにも古く詳しくは判りませんが地名として塩治(出雲風土記では夜牟夜止屋)の字が始めて用いられたのは神亀3年(726年)であります。当時塩治郷を治められた産土神様として郷民の崇敬していた事は明らかであり、爾来今日に至るまで引き続き塩治の郷の氏神様として信奉して参った次第であります。
尚、鎌倉時代に時の守護職塩治頼泰公が勇武を尊ぶ趣意から誉田別命を合殿に勧請したことにより塩治八幡とも呼称されて参りました。

「社頭掲示板」

境内・社叢

  
ナビが社務所を示していたのでニの鳥居から行くことができた。神社までの参道は長い。
右 神社前の一の鳥居・手水舎

(当社では、神社から順に一の鳥居・二の鳥居と呼ぶのだそうです)

  
参道石段                     随神門

  
境内入口の手水鉢                 境内入口右手 境内社 稲荷社の赤鳥居

   
狛犬

  
拝殿                        本殿


本殿左奥 案内碑

  
本殿左手境内社 不明だが境内社として記載にある杵築社か?

社日祠 社日塔に鳥居と祠があるのは珍しい

  
天満宮                       本殿右手境内社 荒神社・稲荷社

地名・地誌

塩冶(えんや)

塩冶と書いて「エンヤ」と読むのが不思議に思っていた。『出雲国風土記』に「夜牟夜社」(ヤムヤ)とあり、この地はかつてはヤムヤであり、エンヤと転嫁したようである。

塩冶氏

近江源氏の嫡流佐々木秀義の五男義清が、承久3年(1221年)6月に起きた承久の乱で、武家方に味方して勝利した功により、出雲・隠岐2国の守護となり出雲に下向し、義清の孫塩冶頼泰が、出雲国神門郡塩冶(えんや)郷の大廻(おおさこ)城を本貫として、塩冶氏を称した一族。
以後鎌倉時代を通じて出雲守護職を務めた。従って祭神の塩冶比古命とは直接関係はない。

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他


2件のコメント

花田英己 · 2015年1月15日 8:25 PM

塩冶神社並びに大山神社の宮司をしております、花田と申します。
遠路ようこそお参りくださいました。
記事の補足をさせていただきます。

本来、塩冶神社は現在の場所から西へ200m程の所にありました。
現在でもその場所には灯篭が残っています。
その当時の横屋(宮司宅のこと)は神社のすぐ横にあったのですが、約300年前に神社のみ遷宮しました。
その後横屋は3回別の社家に移り、4年ほど前から現在の場所になりました。
そのような関係で、社務所と神社の位置には直接の関連はありません。

また、我々は神社前階段下の鳥居を「一の鳥居」と呼んでおり、写真のあいさつ通りの看板があるのは「二の鳥居」です。
さらに西に300mほど行くと「三の鳥居」があります。「二の鳥居」はちょうど中間あたりで、全長は650m程になります。

本殿左手の境内社は「杵築社」で間違いありません。我々は親しみを込めて「大社さん」と呼んでおります。

また御祭神の塩冶判官高貞公をお祀りする判官社も、二の鳥居のある交差点から南へ200m弱の所にありました。現在では判官社跡を示す大きな石碑が建立されております。

また出雲に来られることがあればぜひお立ち寄りください。ご案内させていただきます。
宜しくお願い致します。

    admin@sakezo.jp · 2015年1月16日 10:27 AM

    花田英己さま
    山根浩二と申します。
    コメントいただきましてありがとうございます。
    鳥居の呼び方が一般の神社が本殿から遠いところから順番に一の鳥居、二の鳥居となるのと反対に、塩冶神社では近い場所から一、二、三の鳥居と名付けられているのですね。

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