塩冶神社並びに大山神社の宮司をしております、花田と申します。 遠路ようこそお参りくださいました。 記事の補足をさせていただきます。 本来、塩冶神社は現在の場所から西へ200m程の所にありました。 現在でもその場所には灯篭が残っています。 その当時の横屋(宮司宅のこと)は神社のすぐ横にあったのですが、約300年前に神社のみ遷宮しました。 その後横屋は3回別の社家に移り、4年ほど前から現在の場所になりました。 そのような関係で、社務所と神社の位置には直接の関連はありません。 また、我々は神社前階段下の鳥居を「一の鳥居」と呼んでおり、写真のあいさつ通りの看板があるのは「二の鳥居」です。 さらに西に300mほど行くと「三の鳥居」があります。「二の鳥居」はちょうど中間あたりで、全長は650m程になります。 本殿左手の境内社は「杵築社」で間違いありません。我々は親しみを込めて「大社さん」と呼んでおります。 また御祭神の塩冶判官高貞公をお祀りする判官社も、二の鳥居のある交差点から南へ200m弱の所にありました。現在では判官社跡を示す大きな石碑が建立されております。 また出雲に来られることがあればぜひお立ち寄りください。ご案内させていただきます。 宜しくお願い致します。
花田英己さま 山根浩二と申します。 コメントいただきましてありがとうございます。 鳥居の呼び方が一般の神社が本殿から遠いところから順番に一の鳥居、二の鳥居となるのと反対に、塩冶神社では近い場所から一、二、三の鳥居と名付けられているのですね。
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塩冶神社並びに大山神社の宮司をしております、花田と申します。
遠路ようこそお参りくださいました。
記事の補足をさせていただきます。
本来、塩冶神社は現在の場所から西へ200m程の所にありました。
現在でもその場所には灯篭が残っています。
その当時の横屋(宮司宅のこと)は神社のすぐ横にあったのですが、約300年前に神社のみ遷宮しました。
その後横屋は3回別の社家に移り、4年ほど前から現在の場所になりました。
そのような関係で、社務所と神社の位置には直接の関連はありません。
また、我々は神社前階段下の鳥居を「一の鳥居」と呼んでおり、写真のあいさつ通りの看板があるのは「二の鳥居」です。
さらに西に300mほど行くと「三の鳥居」があります。「二の鳥居」はちょうど中間あたりで、全長は650m程になります。
本殿左手の境内社は「杵築社」で間違いありません。我々は親しみを込めて「大社さん」と呼んでおります。
また御祭神の塩冶判官高貞公をお祀りする判官社も、二の鳥居のある交差点から南へ200m弱の所にありました。現在では判官社跡を示す大きな石碑が建立されております。
また出雲に来られることがあればぜひお立ち寄りください。ご案内させていただきます。
宜しくお願い致します。
花田英己さま
山根浩二と申します。
コメントいただきましてありがとうございます。
鳥居の呼び方が一般の神社が本殿から遠いところから順番に一の鳥居、二の鳥居となるのと反対に、塩冶神社では近い場所から一、二、三の鳥居と名付けられているのですね。