式内 天照玉命神社

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 丹波国天田郡 天照玉命神社
読み: 古 アマテルタマノ、現 あまてるたまのみこと
江戸時代は「和久神社」
所在地 京都府福知山市今安961
旧地名 丹波国天田郡
御祭神
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこ あめのほあかりくしたま にぎはやひ のみこと)=饒速日命(にぎはやひのみこと)
例祭日 10月9日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
大37座(就中一座月次新嘗)小523座
丹波国(タンバ):71座(大5座・小66座)
天田郡(アマタ):4座 並小

近代社格制度  旧郷社

創建      成務天皇の御代
本殿様式    流造

境内摂社(祭神)

西側に八神社、東側に九神社

一口メモ

山陰道(国道9号線)新庄(交差点) で斜め左に折れて、国道429号線 に入る。
1.4 kmで旧道へやや右折しまっすぐ100mの右側。

歴史・由緒等

和久川右岸に鎮座、近くから弥生土器、古墳、条里制の跡が出ている。

拙者HP「もう一つの日本(やまと)」「もう一つの日本(やまと)」 で書いていますので省きますが、谷川健一氏は、饒速日尊こそ、天孫降臨であり大和の祖であるとしています。
饒速日尊(ニギハヤヒ)も、父・スサノオ同様、さまざまな別名を与えられています。

フルネームは、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」ですが、「天照国照彦命(あまてるくにてるひこんもみこと)」・「天火明命(ほあかりのみこと)」・「彦火明命(ほあかりのみこと)」は、フルネームの一部であり、ニギハヤヒ(饒速日命・邇藝速日命)のことです。

別名としては、

櫛玉命(くしたまのみこと)
「大物主大神」
「布留御魂大神」(ふるのみたまおおかみ)
「日本大国魂大神」(やまとおおくにたまおおかみ)
「別雷命」(わけいかずつのみこと)→上賀茂神社
「大歳御祖大神」(おおとしみおやおおかみ)
などです。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の別名。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記する。瓊々杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨に先だって、天津国より天降った天津神。

『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。

『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

『先代旧事本紀』では、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といいアメノオシホミミの子でニニギの兄である天火明命(アメノホアカリ)と同一の神であるとしている。

『新撰姓氏録』ではニギハヤヒは、天神(高天原出身、皇統ではない)、天火明命(アメノホアカリ)は天孫(天照大神の系)とし両者を別とする。
飛行神社でも解説されているが、饒速日命は古典に「天磐船に乗りて大空を翔行り」の古事に基づき航空祖神とされていて、空の神とも言われ信仰を集めている。
(ウィキペディア)

境内・社叢

  
鳥居                       鳥居扁額


由緒案内碑 まだ新しい


手水舎

  
新旧狛犬

  
拝殿


本殿

  
左手境内社 九神社                   右手境内社 八神社

地名・地誌

天田郡

一級河川由良川と、その支流の土師川、牧川が合流する。

以下は『和名抄』に見える郡内の郷である。
六部郷、土師郷、宗部郷、雀部郷、和久郷、拝師郷、庵我郷、川口郷、夜久郷、神戸郷

さまざまな出土品から、少なくとも縄文時代の始め頃から人が住んでいたと考えられており、古くから交通の要衝として栄えた場所でもある。

福知山という地名は明智光秀の城改修の際に名付けられた「福智山」に由来する。和泉式部の歌「丹波なる 吹風(ふくち)の山の もみじ葉は 散らぬ先より 散るかとぞおもう」から取り、これに明智の「智」の字を当てたという説や、或いは富士山由来の名(別名)によるとの説も存在する。福智山の「智」は1728年(享保13年)に朽木氏によって「知」の字に改められた。

-参考:「福知山市史」、ウィキペディア-

地 図

交通アクセス・周辺情報

JR福知山電車基地 陸上自衛隊福知山駐屯地

参 考

『延喜式の調査』さんさん、他

Follow me!


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA