式内 御坂神社(志染町御坂)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 御坂神社
読み:みさか
延喜式神名帳 式内社 播磨国美嚢郡 御坂神社
読み:ミサカ
所在地 兵庫県三木市志染町御坂243
旧地名 播磨国美嚢郡
御祭神 主祭神 八戸桂掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)
配祀神 大物主神 葦原志男神
3神とも大国主神の別名である。
例祭日 5月3日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
美嚢郡 1座(小)

近代社格制度 旧郷社

創建    年代不詳
本殿様式 流造 檜皮葺

境内摂末社(祭神)

神明社・熊野社・武人神社・嚴島社

一口メモ

延喜式神名帳にある賀茂郡の住吉神社と美嚢郡 御坂神社は比定社が多い。
美嚢郡 1座(小) 御坂神社
〃 御坂神社(三木市志染町御坂243) 八戸掛須御諸命、葦原志許男神、大物主神
〃 美坂神社(三木市別所町東這田712) 國常立神、伊弉諾神、伊弉册神
〃 三坂神社(三木市加佐911) 天照皇大神、豐受大神、天兒屋根命、氣長足姫尊、應神天皇
〃 三坂神社(三木市細川町豊地589) 大日靈貴命、大己貴命、天兒屋根命
〃 御酒神社(三木市細川町垂穂581) 大日靈貴尊、大己貴命、天兒屋根命
〃 御酒神社(三木市別所町石野941) 大物主神 天太玉命 天鈿女命

これ以外にもいずれかの分社である御坂神社、三坂神社、御酒神社が数社ある。

歴史・由緒等

延喜式神名帳に「美嚢群(ミナギノゴオリ)一座御坂神社」とある。その延喜式内神社は当社とされている。
延喜式内神社とは、延喜式の神名帳に登載せられた神社をいうのであって、三木市美嚢郡(吉川町)に唯一座当神社が登載されている。
当神社については、播磨風土記にも「志染の里三坂にます神八戸掛須御諸神は、大物主、葦原志男命の国堅めたまひし以後に天より三坂峯(ミサカミネ)に下り給ひき」とあり、人皇第17代履中(リチュウ)天皇がこの神社にご参拝になったことも播磨風土記に記されている。
以後天正年間、羽柴秀吉が中国討伐の途次、三木の別所長治居城釜山攻めを行い、その際兵火にかかり焼失し、古記録一切烏有に帰したことが記録に残されていたということも、今はその記録を見ることが出来ない。

 明治六年郷社に列せられ、大正三年四月神餞幣帛供進指定神社に遇せられて祈年祭、例祭、新嘗祭には郡長又は村長が幣帛供進使にたって随員を伴い、衣冠の装束を着して幣帛(神の供物)を供進したが終戦となり、その制もなくなり、現在宗教法人の護持運営の神社となった。 その昔十七代履中天皇が当神社にご参拝になり、「この川の流れは大変美しい」といわれたことからこの地域を美嚢群(ミナギノゴオリ)というようになり、また御食膳に「しじみ貝」が這いあがったというところから、この地をしじみというようになったと播磨風土記は語っているが、履中天皇の御在位は皇紀1060~1065、現在より逆算すれば1600年前に鎮座なしなる当神社は、今志染の里の氏神として、また拓けゆく緑ヶ丘町、自由が丘町、青山町の産土神(ウブスナガミ-その町の神)として、鎮守さま(その土地とそこにすむ人の守り神)として神しづまりますのである。

-『神社公式サイト』より-

由 緒
創立年不詳。

延喜の神名帳に、播磨国五十座のうち美嚢郡一座御阪社と登載されている。

播磨風土記にも、延喜式内神社と銘記されている(中略)もと志染の志染中という里に鎮座せられていたが、天正年間(1573~1591)、秀吉の中国征伐の金次三木釜山城攻めに兵火にかかり、社殿記録一切烏有に帰したので、佃目の里に遷し奉り、慶長4年更に志染川の上流、淡河川、山田川の落ち合いの清浄な今の地に勧請奉りし、という由緒も伝えられている。

また第17代履中天皇が当社に御参拝ありしことも、播磨風土記に記録している。

明治6年(1873)、郷社に列せられる。

-「兵庫県神社庁」-

境内・社叢


社叢                   

  
鳥居                  鳥居扁額

   
鳥居両側に社号標

  
手水舎                  能舞台

  
狛犬

  
拝殿                   側面


本殿

  
本殿左境内社              本殿右境内社

  
境内社

地名・地誌

三木(みき)

三木はこの御酒(みさか)を(みき)と読み、御坂神社から発しているのではないかと思い始め、調べてみると三木市のHPに

三木の地名の由来

三木の地名の由来は、神功皇后が市内の君が峰で休まれた時、土地の者が壷に入れた酒を献上したことから、御酒(みき)、美壷(みつぼ)と呼んだのが始まりで、御酒⇒三木、美壷⇒美嚢(みのう)に転じたといわれています。

おみきは御神酒とも書く。吉川町が2005年(平成17年)10月24日、三木市と合併し、「美嚢郡」全域が三木市となった。

地 図

交通アクセス・周辺情報

ホームページ

『神社公式サイト』

参 考

「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他

Follow me!


0件のコメント

コメントを残す

アバタープレースホルダー

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA