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社 号 菅田神社
読み:すがた
江戸時代は「住吉神社」「山王権現」
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 菅田神社
所在地 兵庫県小野市菅田町568
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神
主祭神 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)
配祀神 住吉大神 大山咋神(おおやまくいのかみ)
例祭日 10月8日
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 保安年間(1120~24)現在地に遷
本殿様式 流造 檜皮葺
菅田神社比定社は2社。
菅田神社 (小野市菅田町568)
住吉神社 (小野市中番町211 )
由 緒
延喜式所載の菅田神社の分霊にして、保安年間(1120~1123)、今の地に遷座。住吉三神を合祀し、住吉神社と称すも、後、日吉神社を合祀し、山王権現と崇める。あるいは、式内菅田神社を当社とする説もあり。延久2年(1070)、万治3年(1660)、社殿再建。
明治以降、菅田神社と改称。
明治7年(1874)、村社に列せられる。
-「兵庫県神社庁」-
菅田首の一族がその祖神である天久斯麻比止都命を奉じて当地に移住し、奉齋したものであろう。
元は菅田字南垣内に鎮座していたが、川をはさんで南北の両氏子が社地の移転をめぐつて多年紛擾を重ね、遂に保安年間に氏子協議の結果、分裂移転することになり、南方派は現在の菅田字源太夫垣内に新社殿をつくつて御神体を奉遷、これが現在の菅田神社である。また北方派は嶋の垣内、つまり現在の小野市中番町字嶋ノ垣内に社地を選定し同年の霜月25日をトして御分霊、御神宝を東條川の川中にある亀岩(現在は菅田字中の川にあり、神体岩という)の岩の上で受取り奉遷したという。
鳥居 鳥居扁額
拝殿 本殿覆屋
境内小祠
境内右手奥境内社
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他