村社 八幡神社(豊岡市竹野町鬼神谷)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 八幡神社
読 み はちまんじんじゃ

陶谷神社 祭神 野見宿禰命 『国司文書・但馬故事記』
所在地 兵庫県豊岡市竹野町鬼神谷無番地

旧地名 美含郡竹野郷陶谷
御祭神 誉田別尊ホンダワケノミコト (応神天皇)
例祭日 9月15日

社格等

近代社格制度 旧村社
創建   年代不詳
本殿様式

境内摂末社(祭神)

稲荷神社

文化財

鬼神谷窯跡 兵庫県文化財

一口メモ

国道178号線から県道1号線を北へ。地名から須谷にある院森神社が陶谷神社ではと思っていたが、院森神社の現在地は平地である。陶谷丘に祀りとあり、八幡神社境内で5世紀末 葉頃の但馬で最古、兵庫県下でも古いひとつの須恵器窯跡が見つかり、鬼神谷窯跡という。陶谷神社は今の八幡神社だと思われる。

歴史・由緒等

創立年月不詳
明治6年(1873)10月村社に列せらる。

「兵庫県神社庁」

『国司文書 但馬故事記』(第六巻・美含郡故事記)

人皇21代雄略天皇17年(473)春4月 出雲国土師連ハジノムラジの祖・吾笥アケ部属ミヤツコ、阿故氏人等部属を率いて、阿故谷*1に来たり、清器スエキを作る。阿故は赤土なり。
よってハニを延ばすことを名づけて、ヒクと云う。ゆえにその場所を蕩森ヒクノモリとも云う。(蕩は止呂呂久トロログと云うべし。のち単に蕩と云い、また森とも云う。故に阿故を置く谷を蕩と云う) (豊岡市竹野町轟)

夏5月 気多郡陶谷スエタニの人、陶谷甕主スエタニノミカヌシ、部属を率いて、また来たり。(気多郡陶谷はいまの豊岡市日高町奈佐路 式内須谷神社:豊岡市日高町藤井)
小埦甕人オマリノミカヒトまた来たり。清器スエキを作る。
出石県埴野邑ハニノムラ埴田陶人は陶居邑スイムラに移住し、陶器・土器を作る(豊岡市竹野町奥須井)。のち土生に帰り、その業を営む。埴生邑*3は陶谷氏人この地に住み、その業を為すなり。(香美町香住区に土生があるが、「土生に帰る」とあるから出石県埴野邑では?今の豊岡市出石町桐野?)
阿故氏人は阿居王(一に吾笥)を阿故谷丘に祀り、阿故谷神社と申しまつる。(蕩ノ森宮これなり)
陶谷甕主はその祖、野見宿禰ノミノスクネ命を陶谷丘*4 に祀り、陶谷神社と申しまつる。(斎主森宮これなり・須谷の院森神社も同じ祭神)
小埦甕人はその祖、建小埦根命を小埦丘*5に祀り、小埦神社と申しまつる。(豊岡市竹野町小丸)
埴田陶人は、その祖、大襲盤命オホソバノミコトを陶居丘に祀り、埴生田神社と申しまつる。

[註] *1 阿故谷 今の豊岡市竹野町阿金谷にある石原神社は、人皇55代文徳天皇3年秋9月 日下部良氏がその祖、彦湯支命を祀ったものだと思われる。
*2 気多郡陶谷 今の豊岡市日高町奈佐路 (式内 須谷神社(豊岡市日高町藤井)
*3 埴生邑 今の豊岡市竹野町羽入
*4 陶谷丘 今の豊岡市竹野町須谷があるので院森神社かと思っていたが、院森神社の現在地は平地である。陶谷丘に祀りとあるから、鬼神谷の現八幡神社ではいか
*5 小埦丘 今の豊岡市竹野町小丸 現八坂神社

『国司文書・但馬故事記』 小埦神社は小丸だと思われるので今の八坂神社は当社のある鬼神谷は竹野川対岸で近い。野見宿禰を祀る陶谷神社(斎主森宮)は、八幡神社境内の稲荷神社で5世紀末 葉頃の但馬で最古、兵庫県下でも古いひとつの須恵器窯跡が見つかり、鬼神谷窯跡という。陶谷神社は今の八幡神社だと思われる。

境内・社叢


社叢


社頭案内板

  
参道


手水鉢

   
狛犬

  
本殿覆屋


左手境内社 稲荷神社

鬼神谷窯跡

5世紀末から7世紀にかけて る1号窯から奥に向かって築造されたことが 1号窯は兵庫県内で最も古い。分かった。

地名・地誌

鬼神谷・須谷

『国司文書・但馬郷名記抄』(975)

鷹野郷
鷹野郷は竹野郷なり。鷹野神社鎮座の地。竹野別命を斎きまつる。この故に名づく。
また手研彦命を祀る。
竹野塩浜・加島山・草香部クサカベ・道守・贄土師部ニエハジベ埴生ハニュウ陶谷スダニ・阿故谷・蕩森ヒクノモリ・土師村・色来村・葦田村・伊多部・海部 小埦

「太田文」1285年(弘安8年)

竹野郷 今の村数29
宇日・田久日・竹野浜・切浜・草飼・松本・羽入ハニュウ阿金谷アンコンダニ須谷スダニ・芦谷・小丸コマリ鬼神谷オジンダニトトロキ・下塚・大谷・金原・林・防岡・森本・神原・小城コジョウ二連原ニレンバラ御又オンマタ・河内・門谷・須谷スノタニ・大森・桑野本・河南谷カナンダニ

 

地 図

交通アクセス・周辺情報

参 考


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