竹田神社(式内 菅田神社・滋賀県東近江市鋳物師町)

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内 竹田神社
読 み たけだじんじゃ
式内社 近江国蒲生郡 菅田神社(論社)
所在地 滋賀県東近江市鋳物師町1020
御祭神 天津彦根命あまつひこねのみこと 天目一箇命あめのまひとつのみこと
〔配祀神〕大己貴命 石凝姥命 大屋彦命
御神紋 左三ツ巴
例祭日 4月15日

社格等

古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
蒲生郡 11座  大1座  小10座
近代社格制度 旧県社
創建   (伝)崇神天皇の御代
本殿様式 日吉造 間口二間三尺 奥行二間三尺

※菅田(すげた)神社論社

菅田神社 天目一命 滋賀県近江八幡市中小森町1207
竹田神社 天津彦根命 天目一箇命 滋賀県東近江市鋳物師町1020

境内摂末社(祭神)

小姫神社 杼原神社 伊沙雄志神社

(境外)石原神社 田村神社

文化財

能舞台  (市文化財)

一口メモ

日野川の右岸、国道477号線鋳物師交差点を北東へ450m。近江鉄道朝日野駅のすぐそば。

歴史・由緒等

社伝によれば、崇神天皇の御代明神森の地に創祀し、延暦6年坂上田村麿 社殿を再造す、延喜式内の菅田神社は当社であるという。寛仁元年今の地に移し地名竹田により竹田神社と改める。天目一箇命を奉斎するのは古へ毎年9月19日の祭目に稲60穂を伊勢の多度神社に送るならわしがあり、同神の分祀であることを語る古例である。境内に古い石燈籠一基あり康永3年甲申云々と刻するもので、足利尊氏の寄進と伝へている。文亀3年の乱、兵燹に罹り社頭炎上し蒲生賢秀が再建をする。爾来蒲生家代々の崇敬厚く、天正2年蒲生賢秀は神田及び狛犬一対を奉納する。祭礼は4月15日、又祭事として1月15日卜田神事、4月5日田植神事、9月1日稲寸神事、11月8日太刀打神事等あり、豊臣秀吉の時、神能を奉献し「竹田の神能」と称し爾来相伝する。明治32年「菅田」と改称する。慶長6年豊前小倉の藩士伴治左衛門が当社の祭礼の衰退するのをおしみ金一両を寄進する。祭供料と爾後例年奉納する。宝永2年2月吉田の卜部家より正一位の宗源宣旨を受く、明治9年村社に列す、同42年神饌幣帛料供進指定。

4月 17日 春祭り
長寸神社で祭典を終えると、大屋神社まで大幣を立てて渡御し、祭典後、二柱の大幣にて再び長寸神社へ渡御し盃を交す。その後両神社の道半ばにて、各々還御する。長寸大神が大屋大神を迎え、もてなして送る祭りといわれている。 明和(1764~71)年間の頃までは、二社の神輿によつて渡御が行われたと伝えられる。
7月 31日 茅の輪神事
夏越しの祓に行う神事で、人形をはさんだ12本の串が刺された茅の輪を地面に置き、神職を始め氏子たちがそのなかに入り、『三座めでたい』と唱えて、皆で茅の輪を持ち上げてくぐり抜ける。これを三回繰り返し行う。三座とは旧宮座の名称で、木村座・新村座・佐々木座をいう。

「滋賀県神社庁」

境内・社叢

  
鳥居                        手水舎

  
拝殿(能舞台)  (市文化財)           御本殿・中門拝所

  
御本殿                       本殿右手境内社

地名・地誌

地 図

滋賀県東近江市鋳物師町1020

交通アクセス・周辺情報

参 考

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