式内 鷹野神社

Contents [非表示]
概 要
社 号 式内 鷹野神社
式内社 但馬国美含郡 鷹野神社
読み:古 タカノ 現 たかの
江戸時代は「加島宮天神」「浜坂天神」と称していた
所在地 兵庫県豊岡市竹野町竹野84-1
旧地名 但馬国美含郡竹野郷竹野村
御祭神 主祭神 武甕槌神(タケミカツチノカミ)
配祀 天穂日命(アメノホヒノミコト) 天満大自在天神(菅原道真公)
合祀:須佐之男命(スサノオ)、建御雷命(タケミカツチ)、伊波比主命(イワイヌシノカミ)、五男三女神
『国司文書 但馬神社系譜伝』
当芸志毘古命・竹野別命(亦名は春野命)
例祭日 4月25日 春季例祭 11月3日 秋季例祭
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
美含郡(ミクミ):12座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 年代不詳(『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇四十代天武天皇の白凰十四年秋九月)
本殿様式 皇子造
境内摂社(祭神)
稲荷神社・山神社・貴布神社・地神社・船魂神社・西宮大神社
一口メモ
但馬海岸有数の大きさを誇る竹野浜海水浴場で知られる竹野海岸のすぐそば。この神社を囲むように集落の真ん中にある。南の竹野川にかかる橋からの参道がそのまま神社まで道路拡張された痕跡が、境内前で左に迂回していることでわかる。かつては境内だったが、それにより現在地に鎮座されたのだろう。
現在は竹野は「たけの」と読むが、鷹野神社の通り鷹野(タカノ)だった。京丹後市丹後町にも竹野(タカノ)神社があり旧竹野郷。こちらもタカノと読むから、出雲や海士族と関係があるのではないかと常々思ってる。京都市左京区高野もそうである。
歴史・由緒等
本来は竹野別氏族の祖を祀る。
当社は延喜式神名帳に載っている式内社である。
御祭神については武甕槌神(天津神)を天孫系神族として尊崇し、御神威をあがめて出雲系神族(国津神)を制御するため鎮祭されたと伝えられている。
後世にいたり、菅原道真公の怨霊を恐れるとともにその卓越した文徳をあがめ、文道の神として天神信仰が広がった。
当社も道真公を相殿に奉斉し、ご神紋も梅鉢を用い、浜の天神さんとして親しまれている。
-「境内案内石板」-
江戸時代には、武門の信仰が篤く、豊岡・出石藩の歴代藩主が武運長久を祈願するため参拝した。竹野は北前船の寄港地であったこともあり、当時の船頭たちが奉納した船絵馬や日和見や入船の連絡に使われた方角石が残る。地元の人は親しみを込め、「浜の天神さん」と呼んでいる。
古くは加島宮と呼ばれ、賀嶋山に鎮座していましたが、中古現在地に移りました。誕生の浦に上陸して加島宮の祭神となった「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」は、この社の主祭神です。
-豊岡市商工会竹野支所-
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇四十代天武天皇の白凰十四年秋九月、竹野浜成これ(当芸志毘古命・竹野別命(亦名は春野命))を祀る。
神々について
アメノホヒ(天穂日命)
アマテラスの第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服してその家来になってしまい、地上に住み着いて3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。
任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子をアマテラスにきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。
名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。
スサノオ(スサノヲ・須佐之男命)
『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、たてはやすさのおのみこと)、須佐乃袁尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命などと表記する。
『古事記』によれば、神産みにおいて伊弉諾尊 (伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする。
『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊 (伊邪那美命・いざなみ)の間に産まれたとしている。三貴子アマテラスには天の世界(高天原)を、ツクヨミには夜の世界を、スサノヲには海の世界(葦原中国)を統治するように命じた。
天孫系神であるが、根の国(出雲の国)へ天下ったので国津神とされる。スサノヲは、乱暴者という前半の半生の意味も含め、暴風雨を司るとされ、その力強さが転じて、厄をもなぎ払うという意味で、厄除の神の意味を持ちます。
タケミカツチ(建御雷命)
日本神話に登場するアマテラスとスサノオが天真名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に生まれた神々である。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
天之菩卑能命(アメノホヒ)
天津日子根命(アマツヒコネ)
活津日子根命イクツヒコネ)
熊野久須毘命(クマノクスビ)
多紀理毘売命(タキリビメ)
市寸島比売命(イチキシマヒメ)
多岐都比売命(タキツヒメ)
境内 社域
社殿 拝殿右手に社務所
境内・社叢
道路拡張で神社参道を拡張したことが鳥居前で境内を迂回している 鳥居・境内
社号標・狛犬 手水舎 水は止められている。使われていないのだろうか。
境内社 道路を挟んだ外にあるが境内を道路が貫通し移動したようだ。
地名・地誌
佐須(佐津)20 竹野(タカノ)29 香住8 美含 長井8 餘戸(余部)2
(美含郷については記載がない。村数で佐須郷20、竹野郷29は以上に多いので、中竹野、どちらかではないだろうか。)
江戸時代までの美含郡竹野(タカノ)郷は、旧竹野町全域(椒・三原は気多郡)が一つの郷であった。村の数は29でそのまま残る。神社のある竹野は竹野浜村。竹野は上古より鷹野(たかの)と呼ばれていた。
2件のコメント
与田徹 · 2017年11月6日 4:03 AM
鷹野神社のすぐそばで生まれ育ちましたのでたいへん面白く読ませていただきました。ありがとうございました。最後の京丹後市云々のところは文章が飛んでいるか、但馬の竹野と丹後の竹野を混同されている印象を受けます。豊岡市への合併までは但馬の竹野は城崎郡、丹後には竹野町は無くて竹野郡(網野町とか)でした。
kojiyama · 2018年1月19日 7:35 PM
与田徹さま
ありがとうございます。
文章がおかしかったようで、訂正しました。