洛中 京都市 京都(山城国)

繁昌神社

概 要

社 号 繁昌神社
読 み はんじょうじんじゃ
別名 繁盛の宮、京の弁財天、班女ノ社(はんにょのやしろ)。旧称は班女神社(はんにょじんじゃ)
所在地 京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町308
御祭神 市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命
例祭日 5月20日

社格等

式外社

近代社格制度
創建     延喜年間(901年-922年)
本殿様式

境内摂末社(祭神)

一口メモ

京都市内の有名神社のひとつなので、四条烏丸と五条烏丸の中間高辻通に面している小社。繁華街なので駐車に気を使いながら参拝。
全国で唯一の商売繁昌についての神社であり、その他には家内安全、諸芸成就、良縁成就のご利益があるとされる。ご祭神は宗像三女神を祀る元の社号も班女神社であるので、宗像大社、厳島神社と同じ。

歴史・由緒等

境内は藤原繁成の館があったところで、館には功徳池という池があり、その中央の小島に安芸の宮島の弁財天を勧請したとされる。

清和天皇の御代(858年-876年)、藤原繁成の邸宅の庭に功徳池(くどくいけ)という池があった。延喜年間(901年-922年)、安芸国の宮島から市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命の三神を功徳池の中島に勧請したのが繁昌神社の起源である。13世紀前半に成立した『宇治拾遺物語』巻三十五には、長門前司の娘の葬送をめぐる怪異譚として繁昌神社の前身社が登場し、これが文献による繁昌神社の初出である。文明9年(1477年)に作成された『八坂神社文書』の一部にも繁昌神社らしき社の記載があり、応仁の乱から遠くない時期に、繁昌神社が堀などをともなって存在していたことを知ることができる。文禄2年(1593年)の書き上げには「はんちよ町」という記載がある。

江戸時代には真言宗の寺院によって管理され、功徳院と呼ばれていたが、神仏分離の際に現在の神社となった。かつては班女神社(はんにょじんじゃ)と呼ばれていたが、いつしか訛って繁昌神社(はんじょうじんじゃ)と呼ばれるようになったという。18世紀になると周辺が繁昌町と呼ばれるようになり、現在でも下京区繁昌町という地名として残っている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/15 18:17 UTC 版)

境内・社叢


社叢

  
手水                          本殿

地名・地誌

地図

京都市下京区高辻通室町西入ル繁昌町308

交通アクセス・周辺情報

京都市営地下鉄烏丸線四条駅より徒歩5分
阪急京都線烏丸駅より徒歩5分
京都市バス「烏丸松原」より徒歩3分

参 考

「延喜式の調査」さん

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